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心に「刺さる」と「浸みる」、そして「琴線に触れる」

月曜日からかなりエネルギーを消耗した1日となりました。あと4日保つかが心配です。

さて、…… 

最近は心に刺さるという表現が多用されている。ちょっと素直に受け止めにくいと感じていたところ、同じようなことを感じている方が他にもおられてホッとした。

うみのようさんのご指摘の通りだと思う。人の心に強く影響を与えることを念頭に置いた表現なのだろうけれど、受け手は攻撃されているかのようである。

少なくとも私は、刺さるという表現から無防備な状況にいきなり矢を射込んで穴を開ける勢いを感じる。今の世相では、至極真っ当な意見よりも極論がもてはやされ、分かりやすい強い言葉が求められている。その風潮がこのような表現を生み出したように思う。

昔、心に刺さると言えば「心にトゲが刺さったような」という表現があった。嫌な思いをさせられた時の気持ちが中々晴れないことを言い表すもので、とても前向きとは言えないものであった。

それは更に、心にトゲが刺さって傷ついた部分が膿んでさらに悪化して……みたいな言い回しに繋がっていたと記憶している。本来、何かが刺さっていない方が正常なのだから、当たり前だとも言えよう。

冷静に考えれば、前向きな言葉として「心に浸みる」というのがあった。この言葉と対比すると、余計に「刺さる」の違和感の原因がハッキリしてくる。「浸みる」に付く形容詞は「じわじわと」だろうから。

急には浸みない。ゆっくりと時間を掛けて心の中に入ってくる。元々心の中にある自らの感性との対話を経てその感情を受け入れ我がものとすること。これに比べて「刺さる」には「俺の言うことを聞け」という傲慢さがある。

本来、相手の心を動かすのに破壊力も強さも必要ないはず。威圧するのではなく魅了する方が望ましいのは自明である。

深く考えず性急に結論を求める時代になったが故のあだ花が「刺さる」なのかも知れない。それは本物と言えるのかという疑問が湧くが、誰もそれを気にしなくなっている。

なお、同じことを表しているのだろうけれど、更にゆかしい表現として「琴線に触れる」がある。これについては、文化庁の以下のサイトが参考になる。

問1 「琴線に触れる」とは,本来どのような意味でしょうか。
答 心の奥に秘められた感じやすい心情を刺激して,感動や共鳴を与えることです。
https://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2012_09/series_10/series_10.html

そもそも、人間は一人一人個人としての感性がある。それを動かされることを表現する言い回しなのだけど、この文化庁の書き方は少し正確性に欠ける。他動詞にはならず、自動詞としてしか使われないからだ。

何を言っているのかというと、例えば「私の書いた文章が太郎君の琴線に触れる」ことはあるかも知れないが、それは私が狙ってできるものではない。あくまでも太郎君本人の感性次第である。「感動や共鳴を与える」ことは結果でしかない。

こうやって言葉を並べてみると、段々人々の心のヒダの数が減ってきているように感じる。ただそれも、年寄りの繰り言かも知れない。

お読み頂き、ありがとうございました。

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