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自分が子を持って初めて親の気持ちを知る、とは言うものの
寒さはこれからしばらく強まると予想されています。温かい、ヌクいは最強装備です。
さて、……
今回の記事は全くタイトル通りである。タイトルの読点までは、世間一般でよく言われていること。でも、それに若干の疑義を唱えたいということである。
もちろん、ナチュラルな人の感情として、基本は世間の認識通りだと思っている。でも、それが全てであろうか。
親になるのは、法的には一瞬である。「ホヤヤーン」と産声を上げて子が生まれてきた瞬間に、法的な親子関係が決まる。しかし、その瞬間に自分が親だという認識と覚悟を持つかと言えば、明確にNo!である。
頭ではもちろん我が子だと分かっている。でも気持ちがついていかない。羊水の生臭さの残る我が子を助産師さんがタオルに包み「抱いてあげてくださいね」と言って渡され、取り敢えず抱いてみる。
皮膚も薄く体も柔らかい我が子。抱く力の入れ具合が全く分からず、さりとて落とすわけにもいかない。
人生で初めての経験に大きな緊張を感じつつ恐る恐る抱いた時の感触。男の筋力からすれば軽々と持てる重さなのに、ものすごい存在感を放っていたことを今でも覚えている。
実はその時に私が思ったことは「ついにこの子との生活が始まった。もう時計は止まらない」であった。一緒に時間を過ごす未来があるだけという気持ちが強かったものの、その存在感が大きくて可愛いという感情を持つことはなかった。
泣き声もまだか細く、見るからに弱々しい我が子。何かあったらどうしようという不安と、この存在を守らねばという気負いが入り混じっていた。心の底からほとばしる慕わしい感情は、やはり生まれたばかりの時にはなかった。
でも、それが段々存在に慣れて泣く、飲む、垂れる、寝るの4パターンを過ごす様子を見るうちに、愛着と可愛いという気持ちも湧いてきた。そんな感じで初宮参りの頃には家族として当たり前の存在となり、愛情も芽生えた。そんな感じであった。
親は稚い我が子に対してこういう感情を持つのかということが分かったし、その点で親の気持ちを知ることができたとは思う。
ただ、である。
親は子が成長するにつれて存在感が薄くなっていく。中学校に上がる頃には子は親よりも友達とつるむようになり、親と過ごす時間は減ってゆく。
そして、親と子の精神年齢が近づいてくると、時に反目したりお互いの心が通じずに葛藤するようになる。大学生になる頃には相互に別個の人格として振る舞い、親は多くの社会経験を持つ大人の中の一人に近づく。
そうなってみると、自分自身がかつて従った親の判断について「あの時はああ言われたけれど、今の自分だったらああは言わないな」と思うこともある。子を持って初めて親の判断のおかしさに気付くこともある。
仲の良し悪しは別として、親と関わりを多く持った人は改めてこのような振り返りをしてみることを提案する。もちろん、親の判断が正しかった場合が多いと思うけれど、そうではない場合もレアケースとは思えない。
このようなことを踏まえると、子を持って親の気持ちを知り、一歩引いてみてより多くの視点から我が子に的確なアドバイスを与えられるようになる、というのが親の気持ちを知った子の落とし所ではないかと考える。
お読み頂き、ありがとうございました。
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