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歩きスマホで得られる利益を考えれば私はしないのだけど、する人が多い不思議

昨日は本当に良い秋の休日でした。天気も穏やかで行楽日和でしたね。

さて、……

歩きスマホの危険性は、前々から指摘されている。スマホに神経が集中する分、他に気が回らなくなるからだ。こんな記事を見かけた。

私は、歩きスマホはしない。人や物にぶつかるかも知れないと考えるからだ。そうなったらさまざまなややこしいことになることは容易に想像が付く。だからしない。

極めて簡単な論理で、この程度であれば小学校中学年以上であれば理解できる。それを大の大人がやっているというのは、ぶっちゃけ嘆かわしい限り。

しかし実際のところ、歩きスマホをしている人は朝の駅の人混みでも少なからず見かける。彼らは自分の安全を通りすがりの赤の他人に委ねている、或いは自分の行動が他者の身体に危険を及ぼしかねないことに、無自覚過ぎではなかろうか?

引用したNHKの記事を読めば分かるが、結構悲惨なことが起こっている。損害賠償金を1,000万円以上支払う羽目になった高校生の話もある。たまたま運が悪かっただけで済ませてはいけないと思う。

加えて、視覚障害者の進路を塞ぎ、ぶつかっても相手が悪いと言うような人間にならずに済んで良かったと思っている。

自分がケガするだけなら自業自得とも言える。しかし他者を巻き込む可能性、更にその人生まで狂わせる可能性もある。自分が目的地に着くまでに、寸暇を惜しんでスマホを見なければならない理由が全く分からない。

少なくとも利益衡量、即ち歩きスマホで得られる情報による利益と自分や他者を危険に晒してそれが発現した時の損失×発生確率、は考えねばなるまい。私は情報による利益が少ないと考えるからしないのである。

このことを考える背景として、今の世の中はコロナ禍はもちろん、その他でも我慢しなければならないことが多い。それが続いたために我慢が習い性になった一方、人に対する寛容さが失われてきたように感じている。

更に他者への関心が低くなり、少しでも自分が得をしたい、楽しい時間を過ごしたいという我利の欲を抑えられなくなってきている。歩きスマホもその傾向の一端が現れた事象ではないかと理解している。

このような世の中は住みにくい。少なくとも、自分の振る舞いが他者からどう見られているのかを意識できる心の余裕を取り戻したいものだと思う。

お読み頂き、ありがとうございました。

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