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無差別に人を襲う人は自省しないんだなあと知った

今日は、想定外の人から想定外の問い合わせがあり、対応に苦慮した一日となりました。疲れました。

さて、……

10月31日のハロウインと総選挙の日に、調布市を走行中の京王線の車内で乗客が切りつけられるなどして17人がけがをした事件。

この犯人は「人を殺して死刑になりたかった」と言っていたらしい。

この犯人が参考にしたという8月の小田急線刺傷事件の犯人は「幸せそうな女性を見ると殺してやりたい」と幸せな女性に対する恨みに終始していたいた一方、自分についての省察的な言葉は見られない。

更に、2018年東海道新幹線車内殺傷事件の犯人は「刑務所に入りたかった」「自分で考えて生きるのが面倒くさかった。他人が決めたルール内で生きる方が楽だと思い、無期懲役を狙った」という。

彼らの発言を聞いていると、自分が世の中でうまくいっていないことについての鬱憤がとてつもなく溜まっていることがうかがえる。でも、だからと言って無関係の他者を傷つけてはならない、との当たり前の理屈が出てこないことに驚く。

自分が感じている鬱憤については、本来その鬱憤の原因となるできごとやそれを生じさせてくる人に対して何らかの解決を試みるべきものである。これは当たり前のことであろう。

だから、犯人達が自分で解決に向けた努力をしたのかについては、キチンとした検証が必要である。それをしていないとすれば、人としての対応に疑問が湧く。

もちろんそれをしていたとしても、なお見ず知らずの人にその鬱憤をぶつけることがあってはならないのはもちろんである。こういう当たり前の理屈を詰めて考えられない人が出てきていることに、恐怖を感じる。

しかしながら、現実から目を背けてはならないだろう。このような思考をする人が複数いるということに対して、我々も単に変な人がいるだけだと流してはならないと思っている。

むしろ、一定程度はこのような理不尽なことをする人がいるものとして、今後万一への備えを考えていかねばなるまい。

これは、すごく面倒なことである。でも、そういう時代に生まれてしまった者として、何もしないでは済まされないことのように思う。後になって後悔しないよう、いざという時のシミュレーションは、一度してみてはいかがだろうか?

お読み頂き、ありがとうございました。


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