記憶違いは受け流す

俗説で、「お年寄りは、昔のことは覚えているのに最近のことはすぐ忘れる」というのがある。しかし、それにはまだ先がある。

その状態の次に、記憶の新旧や紐付く個体が入れ替わるようになり、昔のことでもすっぽり記憶が抜けてなくなる部分が出てくるようになる。

更にはその抜けた部分がどんどん大きくなって、わが子であっても認識できなくなってしまう。

先に進めば進むほど、つき合わされる我々は精神的にかなり辛くなる。我々の記録・記憶と明らかに違う話をされ、疑問が次々と湧き、不安を抑えきれない状況に直面を、そう簡単に受け入れられるものではないからだ。その摩擦の大きさが強い程、辛さが増す。

その状況をそのまま受け止めるのは、無理だと思う。かといって、それらにいちいち反論するのも、事実と異なる記憶に固執されて再反論を受けるのにも疲れてしまう。

だから、そういう記憶違いに基づく話は、肯定気味に聞き流すのが一番摩擦も小さく、受け手の負荷が少ないと思っている。

例え「論戦」をしたところで、翌日になれば高確率で話したことも忘れてしまう。大抵は徒労に終わるのだ。

そうであれば、正しい・正しくないを争ったところで、何の実益も得られない。方便だと言われても、それで平和に過ごせるならそれで良いと割り切るのも、有用なライフスキルだろう。

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