ご指摘ありがとうございましたの心
今週で一つ大物を片付けました。体は綿のように疲れていますが、気持ち的に楽になっています。
さて、……
会社で仕事をしていて、「あの人は細かい」「よくあんなところまで気付くものだ」と思った経験はないだろうか?
私はあります🤣
この経験については「相手の方が優秀だな」と思う場合と「そこぉ?」と思う場合に大別されると思う。
相手の方が優秀だと思う場合は、まさにその通りだとしか言いようがない。高解像度のカメラで、自分よりも高い視点からものを見られていると考えれば、分かりやすいのではないか。
自分のような標準画質の解像度では見えなかったものが見えている、より高い視点から全体を鳥瞰して立ち位置を把握し、事物のバランスが見えている。それを踏まえて調整すべき意見を述べるのは、できる人にしかできないこと。素直に受け入れるしかない。
一方で、「そこぉ?」と何故そこに注目するのかが分からない場合もある。明らかに不要、或いは大勢に影響ない指摘の場合が多く、ぶっちゃけ放置が一番だと思う。ただ、そういう方に対しても、丁重な対応は必要である。
その指摘は不要だと思われたとしても、その人の指摘であってもたまに不要ではない場合があるからだ。
人は間違えることがある。この前提を忘れてはならない。だから衆知を集めてより妥当な方向を選ぶ、或いは解決策を考えることは、やはり大事だと思っている。
例え誤字脱字レベルの指摘であっても、それが一つでも減ればそれだけ信用が増す。意見を述べ合うことで、納得感も得られやすくなる。
もちろん、それでも間違えをゼロにはできない。ただ、話し合いを放棄して自分の考えた通りに物事を進めるよりは、やはり失敗するリスクは下がる。
そういうことを考えた時に、例えば独裁者が最終的に方向性を誤り大抵は非業の死を迎える、或いは死後に批判されるというのは、論理的には必然だと考える。
話が少し大きくなり過ぎた。ただ、最初に原案を作った者にもプライドはあって、人の指摘が耳に心地よくないものであることは確か。でも、これは踏み越える必要がある。
後の大失敗でプライドが粉々に砕けるよりは、まずは磨ける範囲として人の意見を聞く方がマシなはず。そうであれば頂いたご指摘も前向きに受け止めるべきかと。
お読み頂き、ありがとうございました。
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