noteを書きながら「もう一人の自分」を妄想、現実面を考えて回帰する

今週のお仕事は普段にもましてハードだったので、全く疲れが抜けません。それでも、noteはあまり苦にならないので書いています。

さて、……

いつもだとここで話題が変わるのだけど、今回はそのまま。モノを書くことについて、私の心理的なハードルは低い。取りあえず何かを書けと言われたら、何とかしてしまえる自信はある。

一言で言えば、得意なことなのだろう。その分、絵は全くダメ。自分の画才のなさは悲しくなるほど自覚している。

ただ得意とはいえ「これを職にできるか?」と問われたら、全く自信がない。自分程度の書き手は、まさにnoteに山のようにいる。残念ながら独立できるほどの才ではない。

一方、モノを書くことを生業とする新聞社や出版社に就職していたらどうだっただろう? と「もう一人の自分」を妄想することはある。そうしていたら、その世界で何とか食べていけたかも知れない。

もっとも当時、これらの会社は「社会の木鐸」「クリエイティブなギョーカイ」としてもてはやされていて給与も高く、従ってそもそも入社が難しかったという事情はあり、実現可能性の問題はあったのだけど。

結果論で見れば、新聞・出版業界に進んだ私の世代は何とか逃げ切れそうである。但し、ネットの興隆により新聞の発行部数は減り、出版不況で中小の出版社は数を減らしているのも事実。

今はまだ何とか踏みとどまっているけれど、新聞や出版等の文筆業はいずれ紙媒体は傍流となり、デジタルデバイスでの視聴が主流となるだろう。

既に個人のネット発信も容易になり、自力で電子書籍の発刊もできるようになっている。新聞社や出版社というフルスペックの文筆業総合商社は、自重に耐えられなくなる日が来るのではないかと考えている。

企画立案、会議でオーソライズ、取材、記事書き、校正、ゲラチェック、印刷、出版、配送等の分かりやすい仕事の他、広告営業、構成・台割り等もあるし、経理や総務のスタッフもいる。これらに従事する人たちを「食べさせて」いく余力は、段々削がれていくと予想される。

会社の完全な解体は「のれん」の喪失に繋がるためその選択可能性は低いものの、各部署ごとに外注を取るようになって、部署間の繋がりもより緩やかになるだろう、というのが私の見立て。

もしかしたら、革新的なブレイクスルーが起こってまた文筆業が華やかになる時が来るのかも知れないという期待もなくはないが、厳しいだろう。

かくて細々とnoteに書く日が続く。でも、それはそれで良し。

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