老人ホームに母を見舞う④

母の様子を見ていて、ふと我が身を振り返る機会を得たように思う。

自分も、人生の追い返し点をとうに過ぎている。将来、医学は更に進歩するだろうが、さりとて100歳以上が当たり前にはなるまい。いずれ終わりの時が来る。

その前に、体力・気力は確実に衰えていくだろう。子どもがいても、子どもに頼りたくはない。子どもには、子どもの人生がある。

そうなると、あるタイミングで福祉のお世話になることを考えねばならない。死の直前まで元気で記憶もハッキリしていると思いたいのは山々だけど、想定される未来と願望を混同してはなるまい。

母は亡き父と共に、「人」という字そのもののように、お互いにお互いを支え合って何とか自立した生活を保ってきた。しかし、それがゆえに片方が倒れればもう片方も立っていられないという将来像を、想定してこなかったとも言える。

それが顕在化し、次々に問題が噴出することとなった。この急な環境変化は、当人である母にとって受け止めきれない大きさであったと思う。

幸い、その後更に痴呆が急速に進むという事態に至ってはいない。

このような先例を間近に見ることとなった自分は、どうしようか?……一定の年齢で切るか、ある症状が出たらという条件をつけるか、等を考え始めている。

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