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クラス・階級の存在を受容しますか?

朝からグズついた天候の1日でした。幸い、通勤の往復とも大雨には見舞われずに済みました。それも、ちょっとズレれば危うい状態だったのも事実ですが😓

さて、……。

以前、以下の記事を書いた。それから折々に考えてきた。

資本主義は自由競争社会に結びつく。社会主義が計画経済で自由競争とは相容れないものであることを踏まえれば、これは当然の帰結となる。

但し、これはモデルとしては成り立つのだけど、自由競争社会において事業の元手となるお金を皆が持っているわけではない。いわゆる資本家階級は名前の通り富を蓄積している。一方で、何も持たない大多数の人間が中流階級として存在している。

この両者がガチンコで勝負をしたら、どちらが勝つであろうか?

もちろん、アイデアやビジネスモデルによって決まるという側面もあるだろう。それを否定はしない。でも、よほどのことがない限り、資本家が勝つ確率が高いと思う。

何と言っても、資本家は金で才能ある人間を引っ張ってこれる。そのコーディネート力を持ち合わせている必要があるのは言うまでもないが、それについては過去の事業経験でカバーできる部分が多いだろう。

では何も持たない大多数側の人間が。思いつきから生産まで奇麗にバリューチェーンを組成できるだろうか。できる人の存在を全否定はできないが、それはかなり少ないと見ている。

よくMicrosoftのビル・ゲイツやAppleのスティーブ・ジョブズを例にあげて、何もないところからPCやスマホの事業を立ち上げたという人がいる。それはその通りなのだけれど、他には? という疑問が私の脳裏に浮かんでしまう。

GAFAの隆盛は全くその通り。でも、自由主義経済圏だけを対象に考えても、これらのような成功例はかなり珍しい部類に属するのではないか。大多数の中流階級はそのような成功を収めることができていないのである。

残念ながら、我々はこの事実を冷徹に受け止める必要があると思う。

つまり、皆が自由に競争できると言っても、勝者の多くは資本家階級に属する人が多いということ。そして、その階級に何とか接点を持とうとする・或いはその階級に属し続けることを期して子供に叱咤激励するのが今の受験システムの根幹であること。そういう身も蓋もない現実から顔を背けてはならないのではないか。

実際、そう易々と下剋上は起こらない。加えて、それでは社会主義・共産主義の国に階級はないのか? という直球の問いを考えて欲しい。やはり権力者に富が集まっていることを踏まえれば、階級は存在する。少なくとも私はそう考えている。

結局、人間が社会的な存在である限り、階級・クラスからは逃れられない。それは受容しなければならない。そして、だからこそその差異を隔絶化しないよう、またどんな人間にも健康で文化的な最低限度の生活を営めるよう、自由主義に修正を施すことに軸足を移すべきだと考える。

それが、文明の利益を享受する人間の務めであろう。

お読み頂き、ありがとうございました。

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