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寄り添う気持ちの強制は台無し感を漂わせる

今朝は一段と寒うございました。私の郷里の方も雪に覆われたと聞きました。姉と「来年の七回忌がこんな天候にあたったら困るね」と話し合ったものです。

さて、……

私が改めて言うまでもなく、今日はクリスマスイブ。寒波の影響で大雪に見舞われたところが多いため、形式的にはホワイトクリスマスではある。でもホワイトクリスマスの元々のイメージは、多分こんな大雪ではないだろう。

ウクライナとロシアの戦闘も越年しそうである。その影響もあり、食材の値段が上がっている。クリスマスケーキの値段も昨年比約1割増しだそうだ。そしてエネルギー資源の需給もタイトになり、それらも値上がりしている。

我が家の場合、電気は去年と使用量がほぼ同じなのに料金は25%程度高くなっている。食材や資源の値上がりは、途中で吸収努力がされているとは思う。でも、かなりの部分は最終消費者である我々の負担となっている。

食材や資源のような原材料は、値上がりすればそのまま原価に乗ってくるのもやむを得ない。しかし、当然それを買う側の財布の紐は固くなる。

こういうご時世を反映し、新聞の読者投稿コーナーに以下のようなものがあった。但し、そのまま載せるのは差し控え、要約する。

クリスマスイルミネーションは美しい。でも、LEDとはいえ電気を消費する。お金も掛かる。
ウクライナとロシアの戦闘で苦しんでいる人達がいるのだから、電気の使い方を考え、それに掛かるお金を別のことに使うべき。

投稿者はお優しい心をお持ちなのだろうとは思った。しかし、この主張に私は賛同しかねる。

世界のどこかで苦しんでいる人がいる、ということはまず間違いのない事実なので反論はしない。でも、だからみんなも我慢しましょうという方向に持っていってしまうと、多分一生我慢から抜け出すことができなくなる。

だから「できる時に」「できる範囲で」という緩さが認められないと、息苦しくなってしまう。昭和天皇の体調が思わしくない時に各種の行事を「自粛」する雰囲気が漂ったが、それも後にやり過ぎとの批判があった。

こういう状況については、以下の言葉がハマると思う。

仁は過ごすべし、義は過ごすべからず。

『文章規範』

『文章規範』は南宋末期~元の謝枋得が編纂した、唐宋の「古文」の名作文章の選集である。私はこの言葉の意を「人の情けは多過ぎてもよいが、正義や義務を押し付けてはいけない」ということだと理解している。

正しいことであっても義務感が漂うと辛くなる。すぐに疲れて辞めてしまうリスクがあるなら、もっと持続可能であるように修正すべきであろう。

イルミネーションをやめたところでその電気をウクライナに分けることはできない。そうであれば、その美しさを愛でることまでやめる必要はないと思う。

真剣味が足りないとの批判がもしあるなら、それは甘受する。でも、そういう気持ちを持つ人は先の大戦中にもいた。

「贅沢は敵だ」とのスローガンを書いた張り紙に一文字を足して「贅沢は敵だ」と改変したそのセンスこそ、本当のレジリエンスに繋がるものだと確信している。

お読み頂き、ありがとうございました。

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