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その食べ方、今際のキワになって後悔しないですか?

今日は、雨の中飲み会がありました。楽しく過ごせたのはよかったと思います。

さて、……

世の中には物の食べ方に係わり、妙な風習がある。例えば、焼き鳥であれば、塩を選ぶ方がツウであるかのように受け取られる印象がある。

でも、タレは使うたびに継ぎ足して焼いた鶏肉の肉汁が溶け込んでダシとなる。秘伝のタレは最後はこうやってできる。だからうまみ成分に着目すればタレの方が多い、つまり美味しいということになると考えるが、違うだろうか。

それ以外でも、ざるそばをツユにドブっと付けるのは野暮、そばの先っちょだけをチョンチョンとツユに付けて後はそばを噛まずにすすり込んで、喉越しを楽しむのがイキだとされている。

試しにそれをやってみると、確かにそばの香気が鼻腔に広がる。だからそば好きな人が言うことも一理ある。しかし、食べるという行為に着目すると、噛まずに飲み込むというのはどうしても満足度が下がる。

そもそも、喉が喜んでも舌が喜ばない。味を感じないのだから当然である。そして、噛まずに飲み込むと胃が嫌がる感じがする。咀嚼しない食べ物は消化に手間取ることを身体が分かっているのだろう。

さらに言えば、ハヤシライスとオムライス、あなたはどちらを食べるだろう。どちらも美味しいと思うのだけど、黄色に赤のわかりやすい色彩のオムライスは子どもっぽいと捉えられがちで、ついつい色に深みのあるハヤシライスを選んで食べていないだろうか。

正直なところ、食べたいものは食べたいように食べたらいいと思う。でも大人になるとどうもただ食べるだけではダメで、プラスワンで何かを知っている大人の振りをしないと侮られるように思っている人が多い。

マナーもよく知っている風を装わないと恥ずかしいと感じてしまう。でも、それも程度問題ではないか。

フランス料理でソースが美味ければメインディッシュを食べ終えた後にパンを残ったソースに浸して食べても可である。そうされるとシェフも喜ぶという。

下品なだけではいけないのはもちろんだけど、多少の逸脱は許される。その境目を探るのも大人の醍醐味だろう。何と言ってもソースをしっかり吸ったパンってやっぱり美味しいのだから。

みんなの前でツウぶったりイキがったりしたい気持ちは分かるけど、そのために食べ物との一期一会を逃すのはもったいない。

題名は忘れたけれど、江戸っ子が今際の際に「ああ、一度で良いからツユをたっぷり付けたそばが食べたかった」という落語があったと記憶している。

食べものの恨みは恐ろしい。それだけ食べ物に執着があるということ。自分の味覚と欲求に従って食べ方を選んだ方が、早く悟りの域に近づける。それは間違いないだろう。

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