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緊急事態宣言解除後に初めて母とリアルで対面した時に考えたこと

今日は良いお天気が継続していました。私の日頃の行いの良さとは無関係だと思いますがw

さて、……

今日は緊急事態宣言が明けて、初めての帰省をした。目的は、老人ホームにお世話になっている母との面会である。

本当は、宣言明け直後にも行きたかったところだった。しかし月初は第二四半期の業務対応で疲労しており、その余力がなかったのと、姉との日程調整が必要だったことによる。

厳密には姉の娘、即ち私の姪の試験が終わってからという、わかりやすい理由の方が大きい。 

うちの娘と異なり、姪は出産直後から床上げまで母が面倒をみた。そのため、姪も母もお互いにより親しみを感じているという事情もある。

今は感染が収まっている。この状況が今後も続く保証はないため、是非とも今のうちに会わせておきたいという事情もあった。

そういう現世の事情について、母がその理解をするのには歳を取り過ぎている。先日の転倒骨折による入院騒動の時にも病院で会っているのだけど、きれいに忘れられていた。

その記憶の失われ方は、清々しいほどである。そして「何年も顔を見せないから心配していた」と言ったりもする。もっともこれは、想定の範囲のお約束と化している。

それでも「どちらさんでしたっけ?」と言われないだけまだマシだと考えるべきなのだろう。

老人介護は成長する子どもの育児とは異なり、先に楽しみがない。「近親者の世話」としては同じだが、根本的に目指す方向性が異なる。

例えて言えば、育児は空の飛び方を教えるようなイメージ、介護はソフトランディングのためのクッションを敷き詰めるイメージなのだが、伝わるだろうか?

そして、育児はいずれ一区切りがあって、親とは離れたところで生活を始める子を見守れるのだが、介護の一区切りは親の看取りである。

いずれその時が来ることは父の死の時に学んだので、その時を迎えて後悔がないようにしておきたいとは考えている。

ただ、ぶっちゃけ介護は楽しいものではない。だから、自分で自分に何かのご褒美を用意するなど、何らかのインセンティブを用意しないと精神的にキツい。

「帰りの新幹線に乗る前に、好きな土産品を買って帰ろう」。面会中に話があちこちに飛ぶ母との会話に翻弄されながら、そんなことが頭に浮かんでいた。

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