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つれ合いが亡くなると露呈する弱さ

わが家は父が亡くなり、母が老人ホームで生活している。

この二人は基本的に仲が良かった。多少言い争うことはあっても、険悪な雰囲気になることもなかった。

父の生前、私が帰省した時に母はこんなことを言ってきた。
「最近、お父さんの行動がちょっと危ないのよ。この前なんて、朝に顔を洗った後、水栓を止めずに戻ってきたからお湯が出っ放しだったり......ボケてきちゃったんじゃないかと心配で……」

傍らで聞く父は、苦笑するばかりであった。母は嵩に掛かって

「もし、私が先に逝っちゃったら、この人がチャンと生活できるか心配で心配で……」

等と言っていたが、そう言われた父も黙ってはおらず

「あなただって、できないこといっぱいあるでしょ? そちらの方が心配だよ」

と、言っていた。

当時の状態を客観的に見れば、母の言う方に分があるように思っていた。何と言っても、調理は母しかできない。母が寝込むと、父はスーパーの惣菜コーナーでおかずを買うことしかできず、その割に「美味くない」と文句を言うので、本当に一人になったらどうするのだろうと思っていた。

幸いではないがそれは杞憂に終わり、母が残った。しかし、母も転倒して足を骨折し、独居が難しいことから今の老人ホームに入居するに至った。

こうなってみて、父が懸念していた母のできない部分というのが、顕在化してきたように思う。一言で言えば、自分のことなのに決断ができないということである。

一人での生活に不安がある。でも、ホームで知らない人達と生活するのはイヤだ。そう言われても、私が決めるのもどうかと思ったのだ。結局、決めきらないままでは退院もできず、私がホームに入ることを提案して了承してもらった、という形で収まった。

その後の認知の進み方を見ると、これで良かったのかは大いに悩むところである。


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