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政治家は地位に安住せず、リスクを取って行動すべきだと切に思う

今日は、雲1つない秋晴れでした。空が美しいと思ったのは、本当に久しぶりのことです。

さて、……

日本で貴族が没落したのは、武士が台頭したことによる。この入れ替りの頃を振り返ると、保元の乱では上皇や貴族の下で武士が争ったが、次の平治の乱ではむしろ軍事力を持つ平氏と源氏の争いに貴族が乗っかる形となった。

そして勝った平氏が朝廷内でその地位を上げ、以降は武士が権力を持つようになった。平氏滅亡後鎌倉幕府が成立、しばらくは朝廷と幕府で綱引き状態となったが、承久の乱で鎌倉幕府の優位が確立された。

一時は建武の新政で後醍醐天皇が直接統治を行おうとしたが短い間に終わり、それ以降明治維新まで武士の世となったことはご高承の通り。

ただ、武士といっても源氏・平氏は天皇の血筋である。またその支流もあまたいる。藤原氏の流れを称する武士も少なくない。真偽はともかく、武士も基本は貴種の出身ということになる。

だから、日本で貴種ではない庶民が政治に関わるようになったのは、明治になって帝国議会が開会されて以降のこと。これももっと言えば、1928年に納税額等に関係なく男子の普通選挙が行われるようになって、初めて政治参加ができるようになった。

見方を変えれば、多くの庶民にとって政治参加はまだ100年も経験がないことだと言える。

それが原因だと言うつもりもないが、地方において政治家は、昔の貴種からの流れを引く名家の出身者が多い。そしてその子や孫、或いは親族等に引き継がれている。この点で、世襲議員も擬似貴族だと言えるかも知れない。

そういう彼らに政治を任せることが、直ちに悪いことだと言うつもりはない。一時民主党政権になった際、東日本大震災に見舞われた不運はあったけれど、それを超えて国政が迷走したのも疑いのない事実だからだ。

かくて失われた30年の間、政治は日本を再度飛躍させることができていない。逆にGAFAの例を上げるまでもなく、日本はグローバルスタンダードを確立できず、他国のビジネスモデルの下で雌伏を余儀なくされている。

日本は枝葉末節にこだわり過ぎるし、ゼロリスクを望み過ぎる。新しいモデルを作る、多少のリスクは受け入れるというスタンスに立てないものだろうか。

どうでもよい機能のスペックアップに固執してガラ携化した挙げ句、スマホという全く新しいデバイスを創造したAppleの後塵を拝することとなったし、商品のネット購入も当たり前になったが、その対応も後手に回った。

このような社会の急激な変化に、今の政治は全くついていけていない。仲間内の互助会で閣僚を出すことはできても、事が起こった際の適切な判断も果断な行動もできなくなっている。擬似貴族の悪い面が出過ぎである。

かつての貴族は、リスクを負ってその地位を得たことを忘れていないだろうか。藤原氏も最初は、大化の改新というクーデターに主体的に参加したことでその地位を得た。地位にぶら下がるだけの人間ではなかったのである。

内憂外患な今の時代、ヤル気がない人は下がって席を空けて欲しい。本当にそう思う。

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