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今日は秋の叙勲が行われた。叙勲された後に関するお話

今日は、うららかな秋の日和を満喫できた休日でした。これくらいの気候が長く続かないかと心から願っていますが、難しいのでしょうね。

さて、……

今日は、秋の叙勲が行われた。叙勲された方々には心から祝意を表したい。

叙勲自体にはお金が掛からない。しかしながら、その後が大変だと聞いたことがある。多くの友人知己からお祝いの言葉が届くのはもちろん、お祝いの品を贈られたり、祝賀パーティーを開いたりしてくれる。

人からお祝いの品を贈られたり、祝賀パーティーを開いてもらったりすれば、それらの人達に何も返さないわけにもいかない。記念品を配る方が多いと聞く。

その際のお礼状も手書きで出せるケースばかりではなく、印刷をお願いすることも多くなる。更にその台紙もコピー用紙というわけにもいかないし、封筒も百均の物で済ますわけにもいかない。

この他、写真館で写真を撮るだろうし、燕尾服や着物を借りたり買ったりもしなければならない。

また、ここからはその人の価値観にもよるとは思うものの、授与された勲章を飾るためのケースを作る人もおられるとか。これらを積み上げれば結構な支出になるだろうし、それに掛かる費用は全て自腹である。

実は、これら諸々の手配りも本人が全てやるとは限らない。家族や周囲の人達が人知れず差配しているのだろうと思うと、その労苦にもねぎらいの言葉をお送りしたい。

叙勲対象者は、多くがお年寄りである。ある程度お金が得られて社会的地位もそれなりに上がると、最後に欲しくなるのは名誉だとか。勲章制度もその社会的なニーズに応えているというのは、言葉が過ぎるだろうか?

でもこれだけのことをすれば、経済が回るという受け止めもできる。決して悪いことばかりではない。

なお、私の祖父は軍人だったため、父の実家にはいくつかの勲章があるにはある。でも、それらは取り立てて飾られることもなく、箱に入ったまま床の間の脇の引き出しに仕舞われている。

勲章は頂いた時が一番の華。その後は粗略に扱うわけにもいかず、さりながら御国にお返しするわけにもいかず、扱いが難しいものだと思う。

家の物理的な大きさにもよるとは言え、子々孫々まで大事にするとなればそれなりにちょっとした負担になるのも確かで、そのうちデジタル勲章制度もできるかも知れないなあと思っている。

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