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生活困窮者への“差別発言”をする意欲の湧きどころが分からない

お盆に大雨というのもなかなか得がたい経験ですが、あなたが被害に遭われませんようお祈りしています。

さて……

今週後半、「メンタリスト」DaiGo氏の標題の発言が物議を醸した。そして強行突破するかと思ったら、謝罪した。

私が最初に今回の件を聞いた時、まず「この人は何を言っているのだろう?」と素直に驚いた。次に「何でそんなことを言わないと気が済まないのだろう?」との疑問が湧いてきた。

そもそも人間は、思うこと自体は自由。内心の自由は、一切制約がない。

ただ、それを口にして他人に伝えた場合、当然その他人の側にも内心の自由がある。だから、その内心に基づく批判は起こり得る。これは認めて甘受しなければならない。

この時、社会での常識を背負っていた方が、味方する数も多く発言力も強くなる。

時には強烈な個性を持つ話し手によって常識の側が劣勢になることがある。でも、話し手のごくコアな信者を除けば、それは一時の気の迷いに留まる場合がほとんどで、やがて話は元の穏当なところに収まる。

それにしても、人類が長い歴史の中で生存権という概念を生み出してきたこと、それが多くの民主的国家で当たり前のもの、つまり常識であることについて、もう少し意を払うべきだったと私は考える。

人とネコを比べる必要はなく、全ての命を大切にすれば良いのである。それだけのこと。

私自身、親の介護に携わるようになるまでは、福祉の必要性についての理解が浅く、その存在のありがたさに対する実感が薄かったことは否めない。深く考えていなかったのは事実である。それでも

「自分にとって必要もない命は軽い。だからホームレスの命はどうでもいい。正直、邪魔だし、プラスにならない」

と思ったことはない。どのような立場であっても人生を全うして欲しいし、やはり命は大切だと思うからだ。

これに対しては「偽善者」との批判もあるだろう。でも、仮に偽善であってもそういう崇高な理念を作り出せる人間に期待したいし、自分がその端くれであることの自負を感じたいというのが率直なところである。

社会が「弱者をたたく修羅の世界」にならないように願うのみ。

お読み頂き、ありがとうございました。

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