「命を守る行動を!」の呼びかけは正しいのだけど……
今日も暑かったですね。人間の体温を超える気温って、まだ全身を誰かに抱きしめられていた方がマシってことでしょうか? でも、それはやっぱり暑苦しいですよね?
さて、……。
気象庁の特別警報で標題の言葉を用いられることがある。当初はかなりのインパクトがあった。
これに関わりネットを探してみたら、以下のようなサイトがあったのでお伝えしておく。
インパクトが「あった」と過去形で語るのは申し訳ない気もする。気象庁の方は真剣に呼びかけているのだろうから。
こうなったのは気象庁のせいではない。強いて言うならば、頻回同様の表現をしなければならなくなった気象の状況変化が原因なので、誰のせいでもないというのが正しい。
人間は、はっきりしないことに不安を覚える。でも、そのはっきりしない漠然とした不安に何らかの形を与えられると、あまり考えずに受け入れて納得してしまう。人間誰しも不安は早く解消したいからだ。
例えば、よくわからない病気であった時よりもHIVや新型コロナウイルス感染症と名前がついた方が、何となく安心してしまう。分かった気になり、不安が軽減するるからだ。
こういうラベリングやネーミングは確かに必要なことではある。だけど、それがために時に多くの人に誤った安心感を与えることにも繋がるジレンマが生じる。
特別警報についても同様。これも結果として乱発したことにより慣れが生じて、多くの人が「またか」と感じてしまうことになった。結果として影響力(=社会に与えるインパクト)が下がったのである。
但しそれは、繰り返しになるがやむなく乱発せざるを得ない異常気象の連続的な発生が原因である。気象庁には責任がない。
こうなると、気象庁でできることには限界がある。だから、特別警報が発出され「命を守る行動を!」と呼びかけることについての意義づけについては、例えば改めて内閣府あたりが国民に呼び掛ける必要があると考えている。
本来は、そうそう起こらないレベルを念頭に考えられた特別警報であり「命を守る行動を!」だったはずが、結果としてそうならなかった。ここは受け手の我々の意識を変えるべき時なのだろうと強く思う。
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