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大物アーティストの「社会の動きを見誤った感」について

今日は一日中曇り空。それでも気温は高めにはなって、蒸し暑い状態が続きました。オフィスビル内ではあまり暑さは感じない一方、終業後に外に出た時に一気に梅雨終盤特有の熱気に襲われることになりました。

さて、……。

昨今「故人となった芸能プロダクション社長の性加害」に関わる世上のやり取りが喧しい。当然批判されるべき行為であるのは全く疑いがない。しかし、世のしがらみの中で生きる人は、そのような善悪の価値判断に素直に沿うことは無いようだ。

某大物アーティストの発言が新たな波紋を呼んでいる。そもそもの発端を考えれば、巻き込まれた感があったことは否めない。しかしながら彼の反論を読んで「これはアカンやろ!」と思っているところ。

彼の爽やかな歌声は今でも一級品だと思う。しかし、彼特有の音楽へのこだわりと独自の世界観に籠っているうちに、昭和から連綿と続く古い価値観をアップデートできていなかったことが、図らずも明らかになった。

彼の音楽に親しんできた者として、今の状況をとても残念に感じている。

日本において、かつて稚児文化や衆道といった習俗が存在したこともあって、どうも男色に対する感度が低い。もしかしたら、森蘭丸を寵愛した織田信長が好きな武将ランキング上位に食い込む状況にあることも、その遠因になるかも知れない。

織田信長もやっていたことなのだから目くじら立てなくても……という発想である。それは、理屈では成り立つが今の価値観では完全にアウトである。

もし同じことを女の子にやっていたらどうかを考えればわかる。小中学生の女の子を己が欲の捌け口にしていたなら、当然非難されるだろう。それが分かれば相手が男の子でもダメなのは当然である。

確かに、故人に事情聴取することはできない。真実は藪の中になることは否めない。しかし、複数の人間が異口同音に声を上げていることについて、確証がない限りわからないものと切って捨てるスタンスは、大人としていかがなものかとは思う。

世の中で縁と恩が大事なことは理解する。しかし、それだけではないだろう。社会秩序が情実一辺倒になってしまえば、正義は消える。「そなたも悪よのう」「お代官様ほどではございません」といった古い価値観とは手を切らねばならない。

少年の心を持つのは自由だけど、社会の動きに追随した大人の分別も持つべきだと考える。

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