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やればできる、でも失うものもあり得るはずで、語られないことを考えるべき

今日はいろいろと追い詰められた一日でした。静かな余生を早く送りたいと熱望しているのですが、中々その日がやってきません。

さて、……

世の中の成功者は「やり抜く強い意志が大事」「成功するイメージを強烈に持てば既に成功している」等と言うことが多い。

でも、これらの言葉については、慎重に対処すべきだと思う。大言壮語して何もできないというのは論外だけど、「やり抜く強い意志」を持ち「成功するイメージを強烈に持」って取り組んだ人が皆成功してきたかを考える必要があると思う。

本来、これらの主張の正しさについてはキチンとした検証が必要なはず。だから統計的に明らかな有意差を持っているかを確かめるべきである。でも、恐らくこれを確かめたことはないだろう。というか、確かめたくてもハードルが非常に高く、まず成立しないと考えられる。

というのは、そもそも成功した・失敗したの判断がまず難しい。そして失敗した人は表舞台を去っている場合が多く、調査対象としたとしても、有効な回答を得られない可能性が極めて高いからだ。

言い換えると、失敗した人に「やり抜く強い意志が大事」「成功するイメージを強烈に持て」ていたのかを問うことが難しいということでもある。多くは、どこに行ったかも分からないし、分かっても答えてもらえないと思っている。

本来はアンケートを送るなどして回答をもらい、その割合を成功者と比較して有意差があるのかを確かめなければならないはず。それをしなければ「個人の感想です」以上の価値を見出せない。

そして、更に成功者の「成功」をキチンと定義する必要がある。成功したのが仕事だけの話なのか、その他を含めた話なのかと言うことである。全てを総取りしてこれた人のみを成功者としてきたわけではあるまい。

総取りとは仕事の業績も絶好調、家族仲も円満、健康にも恵まれ、家族もそれぞれ順調な歩みを進めているような人。実際そうならよいのだけど、これはさすがにレアケースではなかろうか。

仕事に没頭するあまり家族との時間が取れず関係がギクシャクしている、仕事のし過ぎで体調が悪い、といった原因が分かりやすい例もあるけど、家族に引きこもりがいる、隣人とトラブルを抱えている、といったコントロールできない事情に見舞われている例もあるはず。

うまくいっている仕事の面のみを取り上げて成功をアピールするのは、嘘ではないけれど全体像を正しく反映してもいないと考える人が多いはず。こういう面を視野に入れると、冒頭の「やり抜く強い意志が大事」「成功するイメージを強烈に持てば既に成功している」も、かなり色褪せるのではないか。

色褪せが言い過ぎであるとしても、ピントがしっかり合っていないのは間違いない。

成功願望を持つ私達は、強い言葉に惹かれがちになる。でも、成功とは何か、成功している範囲はどこまでかといった批判的な視点で見ることはやはり大切だと思う。

お読み頂き、ありがとうございました。

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