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BS放送も場所によりメインになると知ったこと

日暮れの速さに驚きを感じる昨今です。群青の空を眺めながら、今日も何とか無事に終えた喜びを感じています。

さて、……。

今回の記事は広く言えば電波について。たまに電波という表現に認知機能に障害が生じた人のイメージを重ね合わせるスラング好きな人がいるけれど、今回はそういうお話ではないので念のため。

私達は、普段から電波により多くの恩恵を受けている。携帯電話・スマホは言うに及ばず、それ以前からテレビ・ラジオも電波を介して放送され番組が視聴できるようになっている。

今は電波は当たり前の存在になっているけれど、それがなかった期間の方が歴史的には遥かに長い。でも、電波のなかった頃の時間の過ごし方を敢えて今やろうとする人はいないだろう。

電波に乗って放送される番組を楽しむのはもちろん、携帯電話やスマホで遠くにいる人と会話し、意思疎通ができるようになった。

更に、インターネット回線と繋がることでその気になれば個人サイトを立ち上げて自分の興味関心のある分野について自身の考えを発信できるし、XやThreadsのようなプラットフォームに自分の意見の書き込みもできる。

もちろん、今でも有線LAN回線を通じてこれらの行動をやっている人もいるだろう。でも、大多数はスマホやタブレットから書き込んでいるのではないか。

この時、自分は電波を使っているとの意識を持つ人はほとんどいない。呼吸をするのと同じくらい自然な行動とでも言えばよいのだろうか。

こんなことを考えたのは、実は昔ちょっとお付き合いのあった人が都会の生活に疲れたのか限界集落の更に奥地で自然に囲まれた生活を始めたと人伝てに聞いたから。その話を聞いて最初に私が思ったことは、電波が届くのかということ。

実は電気も気になったのだけど、電気は自家発もあり得る。もっとも、それは電力会社から供給されているらしい。でも、NTT回線は無く、テレビの地上波も届かず、ラジオもかなり雑音が入り、スマホの三大キャリアは全滅とのこと。

これも本人が望んで始めたことだから、私などがとやかくいうことではないという気持ちもあるのが正直なところ。

ただ、テレビはBSで結構見られる、インターネットはスターリンクで繋がると聞いて、ああその手があったかと感心した。

特にBSは、地上波が当たり前のところだと陰の存在になりがち(失礼)。でも、衛星用アンテナさえ設置すればこのような環境でもかなりのものが観られるわけで、目から鱗だった。

自分の環境が当たり前だと思ってはいけないと改めて感じた次第。

お読み頂き、ありがとうございました。

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