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「親の死に目にも会えなかった」方が普通ではなかろうか(下)

今日は朝から完全に夏の日差しでした。新聞を取りにいくわずか数mの往復で、体全体を包み込む熱気を堪能し、今日はもはやこれまでだと覚悟を決めました。蚊も寄ってきて、ワヤです。

さて、……。

前回から「親の死に目にも会えなかった」という言葉について書いている。今回はその後半。

実はこの言葉、誰が言い出したのかがはっきりしないし、こういう意味であると明確に根拠をもって書いたものもあまり多くない。調べるうちに「碁打ちは親の死に目にも会えない」という言葉があるのを見つけた。

この言葉の後ろの部分のみ独立して使われるようになったのが、今の「親の死に目にも会えない」なのではないかと私は考えている。

この「碁打ちは親の死に目にも会えない」には語源がある。江戸時代のこと、年に一回の年中行事として、将軍の前で碁の御前試合が開催された。御城碁(おしろご)と呼ばれ、その対局者は勝負がつくまで帰宅を許されずカンヅメ状態となったことから「碁打ちは親の死に目にも会えない」と言われるようになったという。

ただこの場合でも、親の死に目には会うべきという価値観が背景にあるのは間違いない。だから、やはり冒頭の「親の死を看取るのは最後の親孝行であるとの価値観に立ち、それができなかったのは親不孝であると自身とその運命を嘆く」意味になるし、むしろ碁の世界を選んだ者の因果として、より意味が際立つように思う。

歌舞伎役者、舞台俳優等、碁とは関係ない世界に生きる方々であっても、公演を優先した結果として「親の死に目に会えなかった」方は結構おられる。その選択をしたのが正しかったのかは、追い追い自分自身で折り合いづけをしていくことになるだろう。周囲がとやかく言うことではあるまい。

そもそも、親がいつ亡くなるかなど誰も分からない。後から振り返れば亡くなる日は確定しているが、将来については常に想定外となる。俗世の営みに懸命に対応した結果、死に目に会えないことはいくらでもある普通のことだろう。

なお、逆に危篤と聞いて飛んで帰ったけど、何とか危機を脱してその後しばらく存命した例も実際に見聞きした。その後ずっと不眠不休で枕頭に詰めることは、やはり非常に困難である。

文字通りに死力を振り絞って、命を燃やし切って迎えるのが臨終であるとするならば、人によって時間がかかるのもあり得ること。そのタイミングはその方の持って生まれた天命による。神ならぬ我々は、それをただ受け入れる他あるまい。

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