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無能だっていいじゃないか人間だもの

今日は温かいを超えて暑い一日となりましたね。先週までコートを羽織ることもあったことを考えると、極端な気温差についていけません。体調管理にはお互い気を付けましょう。

さて、……

世の中には、ハウツーネタがあふれている。「〇〇に差をつける仕事術」「問題解決の7つのポイント」「できる人はここが違う」……等々である。

実は、私が昨日書いた記事。一見この類いだと思われるかも知れないが、意図は少し違う。

この記事で私は、私から見える事実状態を私の評価視点で述べた。上を目指したいのなら、必要条件としてこのようなものがありますよ、という紹介である。しかし、人はすべからくそうあるべきというスタンスではない。

記載した要求事項はどれもそれなりにハードルが高い。これらだけでも全てを満たせる人は限られている。実際は、更に空き・ツキ・引きの3つの「き」も必要になる。加えて健康も保たねばならない。

そもそも人は皆個性があり、得意分野も違う。会社において、社長はもちろん、役員になれる人も限られる。全員がなれるわけでもない。

一芸に秀でた人というのはいるし、DX化が叫ばれている昨今とはいえやはり人が処理しなければならない細かな事項はそれなりにある。

組織としての会社には、全方面に高い能力を備えた人が必要で、そういう人に経営を担って頂く必要はある。しかし、多くの「それ以外の人」にも活躍の場があるし、日常の雑々とした仕事をこなすことも大切である。

人がその能力に応じてストレスなく働ける環境を築くことが理想だと、私は考えている。だからこそ、できない部分に着目して人を一段低く見るような態度は厳に慎むべきだと考える。

「〇〇しかできない」「〇〇もできない」という発想よりは「〇〇ならできる」という発想で業務を分担した方が能率的だし、職場環境も良くなる。

今従事している業務処理のブラッシュアップはもちろん不可避。でも、何でもできるようになることは、少なくとも自分にとって優先度は低い。

昇進して無能化する(=無能化しない人は更に昇進してそこで無能化する)という理論があるのは承知。しかし、ウロコ一枚欠けても納品が許されない極上品ばかりで世の中は成り立っていない。無能化を批判的にとらえるべきではなかろう。

お読み頂き、ありがとうございました。

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