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節約は目的じゃない

春は別れの季節と言われます。それはそうなのですが、送別会はすっかり途絶えてしまいました。

さて、……

日本が好景気から遠ざかって久しい。何度かカンフル剤のような景気対策が行われてきたけれど、残念ながら奏功しない。奏功しても長持ちしない。今の若年者はほとんど、好景気そのものを知らないのである。

そういう状況の中で、テレビやネットでは節約情報に関する情報が飛び交っている。家族4人で一ヶ月の食費や生活費全体の少なさを声高に喧伝するものが多いのだけど、ぶっちゃけそれって楽しい? と問いたくなる。

贅沢は敵とまでは言わないけれど、私自身まだ莫大な家のローンを背負っており、生活レベルについてはセンシティブにならざるを得ない。という中でも、節約にも限度はあると思うのだ。

この手の節約情報って、普通に生活していたのでは絶対到達できないレベルのものが多い。そして、それがウソではないのだろうということも分かる。しかし、節約は手段であって目的ではないという意識が沸き起こってしまう。

お金は大事なのだけど、生活の質(QOL)との見合いがあると思う。さまざまなテクニックを駆使して数十円、数百円を節約するのって、エネルギーの使いどころが違うように感じる。

その知恵と発想をどうしてお金を稼ぐ側に回さないのか、率直に疑問を感じる。

そして、特に食材に顕著なのだけど、味は値段なりな場合が多い。節約をして食費を浮かす場合、美味いものを知らずに生きる道を選んだことになる。このリスクについて自覚されているのかが心配になる。

親はともかく、それが当たり前の環境で育った子は、社会に出て困るのではないかと余計なお世話をしたくなってしまう。

かつて、大学の友達と一緒に食事をした時に「これ美味しいの?」と聞かれて驚いたことがある。「俺、美味い不味いが分からないんだよねえ」と言われたのだけど、そういう人がいることに心底ビックリした。

親が節約する人だったのかは分からないのだけど、こうなるリスクはあると感じたできごとだった。

なお、私自身苦学生で、学生時代は1日の食費1,000円以内が目標だった。しかし、調味料だけは贅沢して凌いだ。調味料は余程のものでない限り、高いと言っても高が知れている。そういう工夫はしたのである。

節約を目的にすると何となく楽しくない。自分を納得させられる目的のための手段とすべきであり、得られたお金の使い道にこそ意を払うべきだと強く思っている。

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