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なぜ恋に「落ちる」のだろう

昨日とは打って変わった内容で、驚く人もいるかも知れません。その時々に思ったことを書いている点ご理解願います。

さて、……

私は残念ながら「恋…? 何それ食えるの?」状態になって久しい。オジさんだからしょうがないし、オジさんが恋に狂ったらかなりみっとも恥ずかしい。それが許されるのは石田純一くらいのもの。

だから何を今さらという気にもなるのだけど、ふと疑問に思ったことを考えてみた。それは、恋に「落ちる」ということ。

恋に昇るとは言わない。少なくとも私が生きてきた半世紀以上の中で、そのような表現は聞いたことがない。恋は「落ちる」ものとされてきた。

でも、遙か昔を思い出してみても、恋をしている時って心拍数が上がって脈拍も増えるし、呼吸数も増えるし、手が発汗するし、頬が上気する。身体的には、活動量は上がる。

たまたまでもその人と目が合えば気持ちが上がる一方、他の異性と仲良くしているのを見ると胸の奥が苦しくなる。気分の点では、プラスマイナスゼロか。

でも、これらのトータルではプラス、つまり上方に昇るイメージになる。何と言っても大人の階段を昇り始めたのは間違いない。でも、「落ちる」とはこれいかに。

というのが気になって調べてみた。すると英語のフォーリンラブ(fall in love)をそのまま訳したものが定着したという説を発見し、納得した。

ただ、一旦は納得したけれど「じゃあ、なぜイギリス人は恋に落ちるという表現をしたのか」という新たな疑問が生じることとなる。つまり、言語の問題はともかく、私が上で書いたものに対する答えがやはりない。

これは臆測なのだけど、fallは人間の意思や企図とは無関係に起こる事象を表現するのにも使われる言葉である。例えば、モノが落ちるのは人間の意思で起こるものではなく、コントロールもできない。

これから転じたのだろうか、偶然或いはたまたま起こること、意思とは無関係に得られるもの(遠い親戚の遺産が入る)or意思に反して降ってくるもの(災害)についてもfallが使われることがある。

そう考えると、フォーリンラブで使われるfallは、やはり本人の意思に無関係な事象のだから使われたのではないかと考えるとしっくりする。なお、厳密には fall in love each otherじゃないと(両思いの)恋に落ちるにはならないらしい。日本語で、片想いについては恋に落ちたとは言わないし。

ここで、恋は好きになることだから、本人の意思ではないかというツッコミが入りそうだけど、「好きになりたい」と思って好きになるのはマレで、基本は気が付いたら好きになっていたということだろうから、このツッコミはちょっと的外れだと思う。

私はもう、会社で女性の新入社員を迎えても娘のような感覚しか持たないけれど、老人ホームで「タマヨさんを巡る三角関係」があったりもするらしい。そういう方面にエネルギーを持つ人はいつもいるものだと感心している。

お読み頂き、ありがとうございました。

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