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スピリチュアルはせいぜいスパイスに止めるべき

帰宅時にちょっと誘われて、飲んで帰ったら想定より遅くなってしまいました。飲んでいる間は良かったのですが、終わって帰る道は北風の強さに負けそうになりました。

さて、……。

自分が幼い頃に読んだ童話には、この世のものでない存在がたくさん登場する。桃太郎には鬼が、白雪姫には魔女が出てくるし、河童や龍も当たり前に出てくる存在であった。

今は放送するとアカウンタビリティを求められるせいか頻度が減ったけれど、夏になればオカルトチックな怖い話が流れるし、たまに超能力・霊能力を持つという触れ込みの人を取り上げることもある。

こういった背景があるからかも知れないのだけど、ネット上には結構「スピリチュアルな技能」を売っている人がいる。それが消えないということは、ある程度の需要があるということだろう。

実はスピリチュアルにも結構幅があって、占いであれば取りあえずこの世のものだけで形を示すことができる。ただ、なぜその形が出ると結論が導き出せるのか、その理論はよく分からない。

その理論を生み出すに至る相当数の知見の積み上げがあったのかもハッキリしない。

それが霊能力や神のお告げになると、もうどうにもならない。証明などできるはずがないからだ。この世のものでないものについて、この世のものを用いてその存在や正しさを証明することはできない。

スピリチュアルはこのようにかなりあやふやな根拠に立脚したものであるのに、需要がある。これは人間の心のバグだと言って良かろう。

「ないことの証明はできない」とよく言われる。実際それはその通り。でも、だからと言って「ある」に全振りしてしまうのは、市井に生きる者の身過ぎ世過ぎ的に正しくない。これは言い切る。

どんなことであっても他人のために時間を割いてくれたことについては対価を支払うべきだとも言えるが、売り物の価値が不透明である以上、高値を付けるべきものではないだろう。

ところが、希少性を訴えて結構な額を掲げているところが珍しくない。

これ以上は言わないけれど、その能力は大金を稼ぐためのものですか? は問いたいところ。

病院には、病人が集まる。病気は大抵不幸で気が滅入ることが多い。だから、待合室等で明るく声を掛けられると、ついつい話し込んでしまう。そうするうちに「いいアドバイスをしてくれる師を知っているんだけど…」等と言い出されることがある。

そういう人は、自ら信じ込んで善意で紹介しようとしているだけに始末が悪い。「私は医学を信じているので」とキッパリ断るしかない。

スピリチュアルはスパイスのようなもの。決して主食になるものではない。私はそう思って近づけないようにしている。

お読み頂き、ありがとうございました。

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。