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恐怖の大王は今も居続ける

今日も遅い帰宅です。寒の戻りが身に染みます。

さて、……

朝ドラ・カムカムエヴリバディをご覧の方は、もちろんタイトルの「恐怖の大王」という言葉がどこからきたものかはお分かりだと思う。観ておられない若い方の中には「何それ?」と思われる方もおられることと推測する。

真面目に説明しておくと、これは20世紀末に一世を風靡したノストラダムスの大予言で一番有名な言葉。「1999年7の月、空から恐怖の大王が来るだろう」と書かれていて、それが当時の世間を大きく騒がせることとなった。

……結局、何にも起こらなかったのだけど。

それはさておき、私は人間という生き物は常に何らかの敵をイメージしなければ気が済まない癖を持っているのではないか、との思いを強くしている。敵と言って言い過ぎであれば、怖いものと表現しても良い。

「世の中、暗い話ばかりでイヤになる」「何か明るく爽やかで発展的な話がないと胸が塞がり気分が沈む」と言いながら、実態はどうだろうか。常に怖いものを探して騒いで不安になろうとしている気がしてならない。

最近のロシア・ウクライナ間の戦争は言うに及ばず、ちょっと前までは新型コロナウイルス感染症の話題が人々の耳目を集めていた。戦争に疫病、本来これらはいずれも人々が最も忌むべき怖いものである。

それなのに、連日ニュースでもバラエティでもこれらを取り上げ多くの時間を当てて放送している。専門家・コメンテーターがこれでもかと非人道的な行為をあげつらい、病魔の怖さを指摘する。それを皆が視聴している状況。

視聴者は、もちろん自分の意思で視聴を止めることもできる。でも、恐らくそういう行動に出る人は少ないのであろう。それなりに観られているからこそ、テレビ局は放送スタイルを変えていないと推測できる。

つまり、視聴者もイヤだ、気分が沈むと言いながらも、この手の話から目を反らすことができていない。顔を覆った指の隙間から観てしまっているのだ。

それを悪いと言うつもりはない。ただ、それが人の性(さが)だという自覚は持つべきだろう。

結局、恐怖の大王は形も名称も変わりながら、今もなお存在し続けている。そのように考えた方がシックリくるように思われる。

共通の敵を見つけて団結するのも人間の性。そういうものだと思えば理解はできるものの、何となく哀しい気持ちになる。

お読み頂き、ありがとうございました。


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