見出し画像

障害者のために使うお金は、無駄にはならないことを認識すべき

木曜日は「木」の字が付いているけど花金ほど花木はあまり言われない。あと一日、頑張りましょう。

さて、……

また悲惨な事件が起こっている。

殺害された長女が、どの程度の障害を持っておられたのかは分からない。けれども、そもそも親といえども殺害していい理由はない。

相模原市と言えば、どうしても相模原障害者施設殺傷事件を想起してしまう。この事件は、2016年7月26日未明に神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」にて発生した大量殺人事件である。

元施設職員が施設に侵入して所持していた刃物で入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせたとして、世を震撼させたことは記憶に新しい。

この加害者は、2020年3月に横浜地方裁判所における裁判員裁判で死刑判決を言い渡され、自ら控訴を取り下げたことで死刑が確定した。

このようなことがあった自治体で、また障害者の命が奪われるというのは、これはそも何の因果であろうか?

「きれいごとを言うな!」というご批判もあるだろう。ただ私が思うのは、社会的弱者に対する介助がもっぱら家族に委ねられているという状況は、そろそろ終わりにすべきではなかろうか? ということ。

人は個人として生きることが基本なのであり、そうであるならば家族の手元にいつまでも置くべきではないだろう。それが実現できるように社会の仕組みを整え意識を変えていかなければ、また同じ悲劇が繰り返される。

相模原障害者施設殺傷事件の加害者のような思想の持ち主はマレであり、その特殊事例を以て施設に預けることを危険だというのは、牽強付会の誹りを免れないと考える。

まさに親元に置いてもこのような悲しい事件が起こることを考えれば、それは自明ではなかろうか?

親には親の人生があり、子には子の人生がある。その当たり前のことを実現するため、制度と意識を変えていこうと私は申し上げているつもり。

それに費用が掛かるのは事実。でも、よくよく考えればその仕組みを維持するために雇用が生まれ、かつ雇用された人間が生活のために消費もするのだから、経済は循環する。このことは指摘しておきたい。

不思議なことに、こういう時だけ国や自治体の財政を云々する人が出てくるが、それはおかしいと考える。税金は、その先まで経済波及することにもっと意識的であるべきだと思う。

お読み頂き、ありがとうございました。

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。