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忖度だけでなく意を汲むのも流儀


昨今の世相を一言で表すなら
浜の真砂は尽きぬとも 世に接待の種は尽きまじ
というところだろうか。通信事業者の接待が、官僚だけに留まらず政治家にも波及し、国会で質疑が行われた。

但し、「懇談」「意見交換をする場」で「業務上の要請を行ったり、便宜を図ってもらったりしたことはな」いとのことである。確かに、そういう席でド直球の要請をすることはないだろうとは思う。

また、頻回の接待が「顔つなぎだ」というのもどうかとは思うが、これを突っ込んでも納得のいく解は得られまい。

何も私は、政権に迎合しているのではない。それ自体は事実なのだろうと申し上げているだけである。

かつて上位者の意向の「忖度」が世の中で大きく取り上げられた。では、その逆はどうか? 上位者も下位者の願いを無視するとは限らない。むしろ「意を汲む」こともそれなりにあると思っている。

上位者は、その意を汲むことによって下位者の忠誠心がより強くなることを期待できる。この原点は、日本史の鎌倉幕府の項で学んだ「御恩」と「奉公」の関係にあると認識している。

ただこの関係は、所領を安堵してくれる人には忠勤を励むが、所領を安堵してくれなければ主を換えても良いとの考えにも結びつきやすい。実際に戦国時代には、調略の際に所領を安堵する例の枚挙に暇がない。

だからこそ泰平の江戸時代に至り、身分制度と道徳の規律のために朱子学による教化が必要になった。

私見であるが、戦国時代に「意を汲む」ことが流行り、身分制度と社会秩序が確立した江戸時代以降は「忖度」による保身が流行った。その両方が連綿と今に続いていると思うのだ。

そんなことを考えながらニュースを眺めると、イギリスの裁判官が中世風の白いカツラをかぶるように、国会質疑に出た彼らも髷を結って出るくらいのパフォーマンスをしてくれても良いのになあ、とくだらないことを考えた。

最先端の通信事業と伝統的な日本の流儀が、見事に融合している。


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