見出し画像

成年後見制度の構造的に納得いかない点

今朝はかなり涼しく、タオルケット1枚では無理がありました。薄布団を出していたら眠気が引いて眠りに就けず、ちょっと残念でした。

さて、……

私が言うまでもなく、成年後見制度はかなりいびつな部分があると思っている。一番の問題点は、国が被後見人の人権を守る制度と言いながら、被後見人に費用の全額を出させているところだと認識。

例えば、障害者制度の場合、基本的に利用する障害者側の負担は無償もしくは1割負担程度のものがほとんど。残りについては、自治体等が負担するのが通例になっている。

しかるに、成年後見制度においては基本的に国が1円も負担しない。しかも、家族がいても弁護士や社会保健福祉士等の業界団体に登録した人間が家庭裁判所により選任されてしまう例が増えてきている。

当然、有資格者である彼らは、無償では働かない。それなりの報酬を払わねばならないのである。しかも、一度選任されてしまうと、家族において解任することができない。

余程のことがない限り、被後見人が死ぬまでそれは続くのである。

その働きぶりが素晴らしいかについては、まさに運による。大抵の人はまあまあ働いてくれるようだけど、たまにそうでない人がいる。被後見人のためにいるはずの成年後見人が全く働かない、ヒドい場合は自らの私欲を図る例もある。

成年後見について、家族ではなく有資格者が選ばれる事例が増えたことについて、家族が使い込む例が後を絶たないからだという説明もあるのだけど、有資格者ならやらない理由や根拠もないのではなかろうか。

障害者制度については、本人が利用をやめることもできる。しかし、成年後見制度はそうではない。一度始めたらやめられないし、命ある限り継続して報酬を支払い続けなければならない。

訴訟のために弁護士を雇うことは普通に行われるけれど、訴訟が終われば弁護士は解任される。もちろん報酬は支払うのだけど、やめることは頼んだ側の意に従ってできる。

どうしても成年後見人を立てなければならない事案が発生して、そのために成年後見人の選任手続を行った場合、その事案が終わっても、成年後見人は解任できないのである。

こうなると、頼む人はそうそういないことになる。もしそれでも頼むのであれば、かなりの出費を覚悟しなければならない。

確かに、認知能力が低くなった場合、自分の意思で決めることができなくなる。それは、事案が終わっても同じであるというのは理解する。でも、ある程度老人を保護する環境ができている施設に身を置いていて、なお報酬を支払い続けなければならないというのは、本来的にあり得ないと思っている。

障害者制度のように国や公共団体が多くを負担する、或いは弁護士制度のように必要な用件が終わればやめられる、このような制度に改めなければ、そして制度を知れば知る程、誰も申し込まなくなると思っている。

この点、よくよくお考え頂きたいと強くお願いする次第。

お読み頂き、ありがとうございました。

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。