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ネット騒然…まずあり得ない

寒さに対抗するため、更に厚手のコートを取り出しました。ただ、今日は一時程寒くなくて拍子抜けしています。それでも、クリーニングのタグ🏷️を取ったりベルトを付けたりとやることはあり、急に寒くなる日の準備ができて良かったと自分に言い聞かせました。

さて、……。

ネットニュースの見出し、「ネット騒然」「美しさに驚愕」「大炎上」等など大仰なものが少なくない。それでついその記事を読む(=術中にハマる)のだけど、タイトル通りに感じた経験は皆無。

さすがに最近は引っ掛からなくなってきている。とは言いつつも、ゼロではないけれど😥

冷静に考えれば、インターネットは基本的に個人のPCやスマホvsサーバーの関係である。つまり、私たちが手元のPCやスマホから、例えば見たい個人のインスタやXのアカウントを見に行く。この行動のベースは個人。

見に行った先にコメント欄があればそこで見に行った人同士お互いの感想や印象を交換できる建て付けにはなっている。でも、そこまで見に行かない人は少なくないし、見に行ってもコメントまで書く人は多くないので、そう簡単に「騒然」とはならないはず。

個人の行動なのだから、それも当然であろう。ただ、有名人なら一般人より多くコメントがつくとは思う。一方でどれくらいのコメントがつけば騒然と表現してよいのかについての基準はないので、このような表現はまさに個人の感想でしかない。

更に、コメント欄に応援メッセージがあふれてもそれを騒然とは表現しない。用語として不適切である。量の基準が不明なのに加えて表現も書き手の主観と語彙力に負うとなると、ぶっちゃけ書いた者の独断であり、それは大抵不適切な内容となる。

これ、やっぱり何がしかの「お小遣い」をもらって書いているんだろうなあということが透けて、うら寂しい気持ちになる。

あなたも、屋上屋(おくじょうおく)という言葉は聞いたことがあると思う。屋根の上に屋根を設置するという意味で無駄なことの例えである。中国では「屋下に屋を架す」と言うそうで、より無駄感が漂う。

中国のフレーズの方はある詩が売れたので真似をして書いた人の詩に対する批評の言葉だという。要は評価に値しないということ。

ネットニュースの見出しも、このフレーズを思い出すくらいの内容だと思っている。毎回同じ表現ではそもそも飽きてしまうし……申し訳ないけど。

お読み頂き、ありがとうございました。

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