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今日は、戦後が始まった最初の日でもある

雨が続いています。「この夏の天気はおかしい」と毎年言っている気がしますが、この時期にこの長雨は、やはりおかしいですよね。

さて……

私が今更言うまでもなく、今日は終戦記念日。76年前のこの日、日本はポツダム宣言に定める諸条件を受け入れ、降伏した。

今は施設に入居する母は、まだ記憶が定かだった頃に「サイパン島が取られた時に、日本は負けると思った」そうだ。もちろん、それを口外はしなかった。

もし口外していたら、母は非国民扱いされてその後の人生が変わっていただろう。そうなると、この世に私が生まれていなかったかも知れない。

サイパン島が米軍の手に落ちたのは1944年7月のことである。つまり、田舎の年端もいかない娘ですら敗戦を認識するような状況になったのは、終戦の1年以上前である。

逆にその1年間、為政者は何をやっていたのか? ということでもある。

そもそも日本政府による開戦前のシミュレーションで、日本に勝ち目はないことは認識されていた。国力の差は当初から明らかで、終戦の一年前には勝てる見込みなど全く失われていたと思う。

サイパン島の陥落で東條内閣も倒れた。この時点で見切りを付けることもできたはずなのに、後継の小磯内閣は表向き戦争を継続する道を選んだ。

アメリカに一撃を加え、少しでも有利な状況で講和に持ち込みたい気持ちは分からなくはないけれど、既に夢物語であることへの認識が不足していた。それができるなら既にできていたはずである。

日本人のエエカッコシーは、このような時に大いに邪魔になる。全敗を認めるのは沽券に関わるので拒絶しつつ、潔さという日本の美学にはこだわる。

この潔さも、負ける際にはマイナスに作用する。「負けを認める」=「何をされても文句を言わない」ではないはずで、負ける際の条件を協議で詰めるべきだったのに、それをしなかった。

気が付いたら無条件降伏になっていたし、今に続く領土問題もこの粘り腰のなさに遠因があると思っている。オールオアナッシングの雑な思考は、国際的な駆け引き下手にも繋がっている。

終戦前後の動きについては、故・半藤一利さんの「日本のいちばん長い日」に詳しい。終戦を最後まで受け入れられずに自決した青年将校たちも、士官学校を出た優秀なオツムを持ち主であった。

戦没者のみならず、多くの犠牲を踏み越えた上での終戦記念日である。その冥福を改めて祈るとともに、戦後復興の第一歩となった門出の日としても認識すべきだと考える。

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