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精細さを求める欲と雑な切り分けが併存する世の中

天気予報通り昼前から雨が降ってきました。気温も上がらず、春を歓迎する気持ちも萎みがち。台湾の地震被害が当初より拡大しており、これ以上大きくならないよう願っています。

さて、……。

デジカメの画素数は大きくなる一方。またテレビもハイビジョンから4K、更に8Kと、より精細な映像を表示できるよう進化している。

読者の中には、その昔デジカメで撮影した写真1枚のファイルサイズが100KB前後だったと聞いて驚く方もおられるだろう。我々「当時を知っている世代」も、その頃と今のファイルサイズの差異に隔世の感があると思っている。

当時のデジカメはテレビに繋いで見るのが一般的だった。それをプリントアウトするとザラザラでとても見るに耐えない代物であった。

携帯電話の写メ。これも携帯電話の画面サイズだから何とか見れたと思っている。でも、それを今のスマホの画面サイズで見るとすると、既に厳しい。増して印刷に耐えるのは、切手サイズがせいぜいである。

写メールが生まれた当時の携帯電話のCMに、芸能人の密会を写メでスクープするシーンが描かれていた。でも、サービスサイズであってもざらつくことを考えると、写真週刊誌の誌面サイズはあり得ないと当時でも思ったものだった。

細かく精細なものは美しい。これは皆が一致して認めること。でも、それが議論になるとどうだろうか。途端に様相が変わる。例えば議論をする際に、対象を分かりやすくいくつかのグループに分けてしまうことってないだろうか。

これ、私は結構行われていると感じている。特徴的な部分のみにスポットライトを当て、それを基に大くくりにしてグルーピング。一つか二つの共通項だけで雑に切り分けてしまう一方で細かい差異は無視。そうなると、個別の事情や状況は考慮されなくなってしまう。

今の世の中では、このように精細さを追い求める一方で議論・検討の際には対象が雑に切り分けられてしまう。個別の状況に応じたきめ細やかな対応が必要だと口では言うが、具体的にそのような取り組みがなされることは非常に少ない。

確かに個別具体的な対応をしようとすれば時間が不足する。だからこのような雑な対応もやむを得ないと考えられがち。でも、それもケースバイケースである。本当に必要だと思うなら、時間をかけて個別具体的な対応をすべきだろう。

むしろ、そういう雑な対応が当事者に更なる疎外感・不満感を惹起して余計な摩擦を引き起こしているように感じられてならない。トータルでどちらが楽なのかをもう少し比較衡量すべき時に来ていると考える。

お読み頂き、ありがとうございました。

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