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後に残った者の務めは、不安でも自立する気構えを持つことのはず

朝方は曇りがちでちょっと涼しかったものの、午後の日差しは強烈でした。幸い気温が35℃には至らず、何とか過ごせたので助かったと思っています。

さて、……

安倍元首相の急逝について「失ったものが大きすぎる」「もっと御活躍頂きたかった」とのコメントを見た。これらは発言した方の思いであり、その思いは尊重したい。

ただ、安倍元首相の享年は67歳。このことをどう考えるか。世間一般では後進に道を譲る年齢である。そういうことには触れられていないおらず、違和感を感じたのも事実。

「もっと活躍」発言は、巷間でよく言われる「長老支配」「老害」といった否定的な視点とは遠い。不世出の偉大な政治家だと持ち上げれば持ち上げるほど、残っているのはその域に達しない者だらけということになってしまう。

コメントした方は、普段ご自身の生きる社会の中でも、優秀な年長者の指示を仰いで生活されているのだろうか。そうならばコメントした方の中では一貫している。しかし、それで良いのかという疑問は湧く。

世の進展はますます著しいものがある。子どもたちの授業でも普通にパソコンやタブレットが使われており、若い彼らはリモートで授業を受けており、それゆえにアプリ操作に関わる習熟度には目を見張るものがある。

SharePointでデータを共有、Teamsで授業を受けそこで画面を共有するのも当たり前になった時代。私自身も会社でこの手の新しい仕事のやり方についていくのがやっとの状態なのだけど、泣きながら追従している。

そういう中に身を置いているため、重鎮に頼ろうというスタンスにはどうしても違和感がある。

それは違う、政治家は方向性を示せばよい。アプリの操作等は下々にやらせればよく、本人はできなくてもよいとの反論はあると思う。でも本当にそうだろうか。

ある程度使えるようになってこそ気付くことはある。そして何より、子どもでもできることができないというのは格好も居心地も悪い。

使いこなせないのはその文化・様式を共有できないということに、もっと自覚的でなければならない。そしてついていけなくなっているならば、そこで更なる未来構想を描きにくくなっているということである。

誰もがいずれはついていけなくなる時が来る。それはやむを得ないことであるし、できないこと自体を批判するつもりはない。この点、念のため申し添える。但し、できるところまで精一杯努力をすべきだとは思う。

なお、本来長期間首相の職にあってそれを勤め上げた人間が今でも現役の国会議員というのは、あるべき姿ではないと考える。功成り名遂げた人として、それなりの居場所を用意すべきだと考えるが、そういう意識が国内では必ずしも浸透していない。

美しい花道を用意してあげることこそが、真心の籠もった対応であり、残った人間は不安でもバトンを受け継いで走り出すことが必要だと考えている。

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