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「下さい」「やらん」の話を終えた後にも人生は続く

さて、……

「○○さんを僕に下さい」
「お前にはやらん!」
この会話だけで、その情景が目に浮かぶ人は多いだろう。

このシーンには、恋人の家に正装して訪問する男、それに相対する初老の夫婦、そして恋人と両親の様子を見守る若い女性が登場するはず。ホームドラマでは、これが鉄板かつクライマックスシーンの1つでもある。

今は家制度も崩壊して久しく、嫁にやる、やらないという言い方も昔ほど流行ってはいない。自分は〇〇家の一員だとあまり意識しなくなっている。

田舎では、今でも家に関わる意識があると言われるが、子どもの数が減って一人っ子も珍しくない世の中の趨勢を考えると、それも時間の問題だと思う。

むしろ家の問題よりも、子が親との同居を選ばないなら、新しい家庭を作るために夫の側も家を出ていくこととなる。これは夫婦いずれにも共通することとなろう。

家の問題では、どちらの苗字を名乗るかに力点が置かれる。でもそれは、形式的なこと。それよりも、家族として当たり前に過ごしてきた子が家からいなくなることの方が、親にとってより大問題のように思う。

手塩にかけて育てた子が家を出る。毎日見ていた顔を見られなくなる。そのことに親として寂しさを感じるのは避けがたい。

一緒に暮らしていた家がガランとしてしまう。その家には、思い出がたくさん詰まっている。残る親は、子の部屋を見るたびに「もう子は家を出たんだ」との思いを新たにする。

私は若い時分、それもやむを得ないことだと思っていたが、自分が結婚して子どもを持つと、その親の心情を理解できるようになった。

もっとも、そうなる前の我が家は私も姉も晩婚だったこともあり、姉は家にいたし私も帰省するたびに母から「誰かいい人いないの」と問い詰められていたのも事実。ある意味、挨拶代わりの言葉となっていた。

人間、目の前の困難があると、視野が狭くなる。その当時は子が独身である点に意識が集中し、その後に控えることが見えなくなっていたように思う。

結婚後にも月に2回程度は電話をしていたのだけど、「年寄り2人で何も変わらないよ」「張り合いがなくてね」等と言うようになった。じゃあ、独身のままの方が良かったのか、とまではさすがに言わなかったけれど。

恐らく全国の多くのご家庭で大なり小なりこのようなやり取りが行われ、やがて老夫婦のみの生活が始まっていったことだろう。実はこのような状況に至り、改めて2人だけの生活が始まって「会話に困る」「ちょっとした仕草や振る舞いが気になる」といった不満を感じることも少なくないようだ。

さすがにこの域に達してなお離婚や別居を選ぶほどのエネルギーもないケースがほとんどで、そのまま暮らすことが多いようだけど、そのエネルギーが貯まったご家族は、子も含めて大変だろうなあと思う。

人生のすごろくは、このように回っていく。

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