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賞賛される日本人のゴミ拾いも、ガラパゴス化の象徴かも知れない

出張で本社にやってきた人が「仙台で人身事故があって、しばらく新幹線の運行が見合わせになって大変だった」と言っていました。皆様の生活には何らかの支障が生じたりしなかったでしょうか?

さて、……。

ワールドカップの会場となったスタジアムで、ゴミを拾う日本人の姿を取り上げ賞賛する海外からの声をまとめた記事を読んだことがある。

海外において、会場の清掃は一般に会場スタッフの仕事だと認識されている。その点では、賞賛されつつも奇異だと思われてもいるところだろう。

日本では学校の校舎の清掃も、生徒が実施する。しかし海外では、清掃スタッフをきちんと雇っており、小学校といえどもそこに通う子どもが清掃することはない。

日本人がスタジアムでゴミを拾う背景には、日本人は誰もが清掃を経験済のため、実施するまでのハードルが低いという社会背景がある。

これを更に深掘りしてみると、日本では一般的な仕事でも担当が明確になっていないというもう一つの社会背景が浮かび上がる。日本人はジェネラリストであることを求められてきたからこそ、業務が限定されてこなかった。

これもまた日本人がゴミ拾いに従事しやすくなる社会背景だろう。

日本の職場では「お互いに助け合って」の一言で、あれもこれもやることを求められ、それができるのが一人前の証とされた。でも、気がついたらそれが合理化、人減らしのための方便として使われるようになってもいる。

昨今ジョブ型雇用というのが世の中で注目され始めているけれど、これは海外ではとうの昔から当たり前のこと。それがグローバル化の中でやっと日本でも導入されようとしてきているだけである。

ぶっちゃけ私見であるが、今後は何でも二流レベルでできるジェネラリストは、AIに駆逐されていくだろう。そして、一芸を極めたジョブ型の人間が求められていくことは間違いない。

そのことを視野に入れて今後のことを考えるなら、ゴミを拾って海外から賞賛されることは、日本の隠れたガラパゴス化を、新たに可視化していることに気付かなければならない。

道徳的な話はもちろんあるものの、それはグローバルスタンダードではないことを踏まえることが必要だと思う。

お読み頂き、ありがとうございました。

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