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霊感商法というネーミングはセンスがないし、実態を言い表してもいない

薄曇りだと思っていたら、午後の私の外出を狙ったかのように雨がパラついてきて、ちょっとガッカリしました。本当にパラパラで傘も要らない程度でしたが、それはそれでうっとうしいものでした。

さて、……

今、巷を騒がせている「霊感商法」。最初に名前を付けた人のセンスを率直に疑っている。

この言葉をウィキペディアを調べてみた。以下のことが書かれている。

1980年代に世界基督教統一神霊協会(統一教会/統一協会)の信者らによるこの種の商法が問題となった際に、日本共産党の機関誌である『しんぶん赤旗』が「霊感商法」という言葉で報じ、以後この呼称が広く使われるようになった。

Wikipedia「霊感商法」より引用

赤旗にネーミングセンスは期待できないと思っている。しかし一般的に使われるようになった以上、この言葉を用いざるを得ない。

私がこのネーミングセンスに引っかかるのは、霊感という言葉からは人知を超えた感覚を思い浮かべるからだ。この感覚自体を全否定できないと考えている一方、霊感商法は本当に霊感を用いた商法ではない。

更に、霊感と商法は一対一で結びつくものではない。こういった違和感が引っかかりの元になっている。

私は何冊かKindle出版をしていて、その表紙作成についてはココナラに登録した人にお願いしている。実は、このココナラで「霊感」を検索ワードとして探すと1万を超えるサービスがヒットする。

霊感占いだとか霊視だとかいろいろあるので驚くのだけど、本来霊感商法ってこういうもののことを言うべきなのではなかろうか。

霊感等に関係なく、先祖の因縁だとか霊の祟りだとかを言い出して人を脅して正常な判断能力を奪い、法外な金を払わせるのは、単なる詐欺である。詐欺は商法ではない。

だから、正確には「霊感偽装詐欺」と呼ぶべきなのだと思うが、今更誰も聞いてくれないだろうから、私は「いわゆる霊感商法」と呼ぶことにする。

なお、霊の存在を信じるかというのは、結構鬼門な論点だと思っている。「信じます」と真顔で言うと、「そんな非科学的なものを信じているのか」と突っ込まれる。

でも、そう言って批判する側は、人間そのものの価値を目減りさせてしまうことに気付かねばならない。科学的な根拠の有無の世界で言えば、存在を証明できないのは確か。でも存在しないと考えると、同様に神も存在しないとの結論に至る。人間に対して、単なる生き物以上の価値を見出せなくなる。

人命の尊さや人の尊厳について、神の作り給うた存在だからだと言えば説明は簡単なのだけど、霊を否定するとこれが困難になる。

大多数の人間は、鬼門の論点について突き詰めずに日々の生活を送り、それでどちらかに結論を出すよりも生きやすい環境を得ている。そういう曖昧な生き方を否定するのは野暮だとは思う。

ただ、それは「いわゆる霊感商法」につけ込まれる危険性があるということでもある。この点を肝に銘じて、心が弱った時に今一度このことを思い起こして頂ければ幸い。

お読み頂き、ありがとうございました。

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