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知能指数100くらいの人に分かる表現でお話下さい

やっとたどり着いた週末。今週も何とか頑張りました。自分で自分を褒めてあげましょう。

さて、……

もしあなたが標題のように言われたら、あなたはどう受け止めて対応するだろうか?

……(何それ? これって私が話した内容が理解できない、ということだよな。私の話が難しいということか? そもそも、知能指数100って普通のレベルだよな。あれ、もしかして私の話が支離滅裂だと言いたいのかな)

多分、こんな自問自答が始まることと思う。

(そもそも、知能指数なんてものを想定しながら人と話したことなんてないぞ。それに、知能指数を持ち出して人にあれこれ言うなんて、少し失礼じゃないかな。全員に分かってもらえるなんて、こちらも思っていないんだけど)

段々言い訳したくなってしまうこともあるだろう。

実際にこのようなことを言われることはまずない。これは半分はネタである。でも、本来は真面目に意識すべきことであると私は思う。

端的には、自分の話が伝わっていないと感じた場合に、なぜそうなるのかを突き詰めて考えたことがあるだろうか? という話。

ありがちなのは、「話の受け手の側に聞く気がない」だとか「理解する能力がない」といったような、「自分のせいではない」的な言い訳。

それは、コミュニケーションが相互作用であることを失念している。聞く気がないと思ったら聞く意欲をかき立てる、理解する能力がないなら平易な言葉や表現に変えるといった対応もあるはず。

それをしないのであれば、相手に対して批判的なことを言うべきではないと思う。

そもそもこの話は、話し手と聞き手のどちらかが良い悪いの問題ではない。伝わらない事実が問題なのである。ここを混同してはならない。

実は、知的能力とコミュニケーションにはある程度の幅で相関すると言われていて、話し手と聞き手で20以上の差があると意図が伝わりにくくなる。だから、私などは役員さんの意図を察しきれないことがある。

これを裏側から見ると、すごく知的能力に優れた人は、少数の人にしか真意が伝わらないということでもある。そうだとすれば、それはかなり寂しいことではないだろうか?

知的能力は、皆が考えている程努力での伸び代が大きくない。持って生まれたものがかなり大きいとされる。

だから、そのこと自体を善悪といった価値観で捉えるのは適切ではない。そういうものであると認めるところから始めるべきなのだけど、意外に気付かれていないのが残念だと思う。

お読み頂き、ありがとうございました。


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