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「この親にしてこの子あり」は言ってはいけない言葉だと思うよ

明日休める! この感動を誰に伝えよう……と言うほどではありませんが、嬉しいのは事実です。

さて、……

某結婚報道に関わり、ネット上で標記の言葉を発する人が結構いて驚く。この令和の時代に、親の人格と子の人格は別物であることが理解されていないからだ。

子が育つ環境要因として、親の存在が大きいのは否定しない。その影響を受けるのは確かである。ただ、親の歩みをトレースした人生を歩む子がどれくらいいるだろうか?

もちろん、全くいないとは言えない。しかし、親の思考・行動様式をそのまま受け継いでしまうとは限らない。もし、それが良くないものであるならば、それを反面教師として捉える子もそれなりにいる。

親が飲んだくれだったから自分は自戒して飲まないようにしている、という人もいる。親が構ってくれなくて寂しかったので、自分は絶対に子どもに関わろうと思う人もいる。親がそうなら子もそうなると決めつけるのは、単なる思い込みでしかない。

私自身はどうか。例えば、親の愛を感じてこなかったのか? と言われたらそうではない。しかし、戦前派の親が世間体を気にするあまり、子どもに「良い子」を求め過ぎだったことに閉口していたのは事実。

だから、自身が子育てするようになって、自分の子どもにはそういうことをしないように意識している。そういう経験をしている人は、少なくないのではないかと思っている。

だからこそ、「この親にしてこの子あり」等と軽々に言うことはよくないと思っている。

そもそも、問題だとされる親の行動についても、どこまでが真実でどこからが盛った部分なのかが分からない。借金をもらったものと解釈した点を非難する方もいるけれど、このあたりは当人同士の機微な感情も入るので、他人がどちらだと断定することは難しいのではないか?

あと、実際に母子家庭でわが子に少しでも良い環境を与えたいと考えた時に、敢えて社会的に非難される行動を辞さない人もいるとは思う。

社会的にはもちろんアウトな行動であり、その行動は批判されて然るべき。でも、それが緊急避難的であればその心情は多少理解できるし、そうするより他にない社会のサポート体制の欠如は、改善されることが望まれると思っている。

自助も能力、皆ができることではないのだから。

お読み頂き、ありがとうございました。

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