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「人の振り見て我が振り直せ」って激ムズでは?

台風が迫ってきているのですが、朝降っていた雨も帰路ではやんでいます。明朝はどうなるでしょうか。

さて、……

よく聞く標題のことわざ。日本人は反省好きなので、このことわざもその一環から生まれたものだろう。でもこの通り実施するのは、かなり難しいことに気付いた。

というのは、人の振りの良し悪しが分からなければ評価できない。つまり、良し悪しを評価できる能力を持っていることが前提になる。

更に、自分も似たシチュエーションにおいて取っている行動について認識し、他者の行動と同一基準で評価できる能力も必要となる。

この2つの能力が兼ね備わっていない限り、我が振りは直せない。そう考えると、極めて高度なことを要求されていて激ムズなのが分かる。

他人の行動に対してあれこれ評価することは、よくあること。こちらの能力は多くの人が持っているように思う。

問題は、似たシチュエーションにおける自身の行動の評価基準であろう。同じような行動を取っていないならば良いのだけど、取っている場合において、それを他者と同じ基準で善悪を評価し、悪いなら別の行動を取るようにできるか、である。

実際「あの人のああいう行動はよくないね」と言う人が、別の局面では自分でも似たようなことをしている例はざらにある。人のことは客観的に見られるけれど、自分のことはなかなか客観視が難しい。

コミュニケーションが大事と言いながら、余程のことがない限り側近にしか意見を求めない人がいる。もっと卑近な例で言えば、コロナ禍で最近の開催はなくなったけれど、飲み会でいつも同じ席に固まる人たち、こういう場くらいバラけてもよいのでは? と思ってしまう。

そういう人がコミュニケーションの大切さやダイバーシティの推進を声高に主張しても、言われた側としては何だかなあという気になる。理念と行動が連動しない人は少なからずいることは、意識すべきだろう。

もっとも、その行動が犯罪と誤認されるレベルであるならば、間違われないように「振り」を絶対に改める必要がある。「瓜田に履を納れず。李下に冠を正さず」である。

しかし、行動の評価では大抵の場合、人には厳しく、自分には甘くなる。同一基準で見られなくなりがち。この点、特に自分の職位が上がれば上がるほど、意識しないと大変なことになる。

陰で悪く言われることを望まないならば、学生時代の友達など忌憚なく話せる人の指摘を聞いてみるのも有効である。猿にもできる反省を、猿にはできない行動改善に繋げていくことが必要だと考える。

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