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通勤時に人身事故の報を聞かない日の方が少ない気がする

ウクライナの情勢は日々刻々悪化しています。本件、蟹は甲羅に似せて穴を掘るという言葉を思い出します。西欧諸国が自分のように侵攻すると考えちゃうんだなあ、という点が腑に落ちません。

さて、……

朝夕の通勤ラッシュ時に、人身事故の報を聞く日の方がそうでない日よりも多いと思っている。もちろん、自分の通勤路線がそれに該当するのはそう多くない。

しかしながら首都圏の路線全体で考えれば、ほぼ毎日のように発生している。そして、それに巻き込まれた方も確実に多数存在する。

私達は大抵車内放送で「〇〇線は人身事故の為遅れが発生しています」或いは「〇〇線は人身事故により運行に遅れが発生しており、××線への振り替え輸送を実施しています」と聞かされる。

振り替え輸送を認めてもらえるのはありがたい。でも、この点の対応は未だアナログである。係員のいる改札口で振替乗車票をもらうため、長蛇の列に並ばねばならない。この点は、速やかに改善願いたいと強く感じるところ。

人身事故という言葉でお化粧されてしまうけれど、その多くは列車への飛び込み自殺である。このことは、しっかり認識すべきだと私は考えている。

Twitterでのつぶやきを見ると、人身事故についてはかなり批判的なものが多い。想定外の遅れに巻き込まれた苛立ちは分かるし、それを否定するつもりはない。

しかし、自分が全く知らない人とは言え、その人が命を投げ出したことについては、もう少し優しい物言いであっても良いのではなかろうか、とは思う。

宗教では一般に自殺を禁じている。それは、各個人に対してそれぞれ天命があるのに、それを放棄するのは天意に反するからだと一般的には説明される。合わせて、天は人に乗り越えられない苦難は与えないと説かれることが多い。

しかしながら、これは無理があるように感じる。そう言うと、自殺を肯定するのかと噛みつかれる方もおられよう。でも、それは違う。

単純に、結果として乗り越えられなかった人が複数いる事実を直視すべきだと思う。その事実に対する論理的な説明がなされていない以上、自殺の良し悪しとは別に、乗り越えられない苦難の存在を認めるべきだと思うのだ。

これから年度末に向かう。コロナ禍もあり、決算期に掛けてこの方向性はますます拍車が掛かることが予想される。

しかしながら、資金繰りが上手くいかない、仕事が回らないは、自分一人が命を懸けたところで解決はしない。増してその命は、とても尊いもので決して軽んじるべきではない。このことは、しっかり申し上げておきたい。

お読み頂き、ありがとうございました。

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