見出し画像

私が気付かなかった女の子の習いごとの効用

朝の涼風を堪能しつつ、今日は上司が不在で自分のペースで仕事ができました。たまにはそういう日があってもよいですよね。

さて、……

そもそも、女の子を育てている方がこのオジさんnoteを読んでいるのか、という疑問はある。

女の子の場合、楽器の他バレエや日舞等も習いごとの候補になる(男の子でも候補にはなるのだけど、偏見かも知れないが優先順位が低い印象を持っている)。

もちろん、その道で食べていけるくらいの実力を身に付けさせたいケースもあるだろう。でも、大抵そこまでは望んでいないと思っている。

このような認識を持っているなかで、体を使う習いごとにどのような意味があるのかということについて、ある友人から指摘を受けた。

・体を動かす能力が高まる(これは当たり前)。
・一芸を身に付けられる(これも当たり前)。
・姿勢が良くなる(これも指導されるから、納得)。

ここまでは想定できた。しかし、

・自分が人に見られていることを意識できるようになる(なるほど)。
・自分の体を自分でコントロールできるという意識が生まれる(へえ)。

は想定の範囲を超えていた。しかし、言われてみれば腑に落ちた。

人に見られていることを意識できるというのは、女性にとって良くも悪くも大事な能力だと思う。生きやすさに繋がることは間違いない。

そして、自分の体を自分でコントロールできるという意識は、見られていることへの意識と相まって、自分の振る舞いや装いを美しくする方向への努力に結びつきやすい。その動機付けとして習いごとが十分な役割を果たすと想定される。

ここでジェンダー論をすると話がややこしくなる。また美しさについても、個人の主観によって変わるという昨今の風潮には抗いにくい。しかしながら、この手の先が見通せない「あるべき」の議論については認識しつつも、現実に女の子を育てている親としては対応について慎重にならざるを得ない。

美しい所作や身のこなしへの意識はやはり世の中に根強く残っていて、それを少なからぬ人が認めているのは事実。そうであれば、それがあるものとして対応していかなければなるまい。特にそれが娘の幸せに影響するのであればなおさらである。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と主張した福沢諭吉も、娘の結婚にあたっては「士族以上に限る」と言ったとか。理想と現実の狭間で、娘の幸せを考える父親の苦悩を感じる。

なお、このような話を聞いたのは娘が小学校高学年になってからで、我が家の習いごとには影響がなかったことを付記しておく。

お読み頂き、ありがとうございました。


読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。