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顔は覚えているけど……名前は何だったっけ? が増える中で人の生き様を知る

今週も週末にたどり着いた。この刹那の開放感がいつまでも続いてくれたら、どんなに幸せだろう、と思います。

さて、……

残念ながら、先週末は老人ホームで暮らす母を訪問した際の記事を書いた。

この時に敢えて確認して分かったことであるが、母は私の名前を覚えていなかった。もっと言えば姉の名前も、部屋に写真が飾ってある亡父の名前も……。

でも、部屋に入った瞬間に手を上げて迎えてくれた。だから、顔は覚えていてくれたのだと受け止めている。

これって「顔は覚えているけれど、名前は出ない」という状態で、残念ながら自分もたまにそうなってしまう。このことについては、以下の記事の⑧にも少し書いた。

(えーっと、前に会った人だよな、でも名前が思い出されない……)という状態である。

自分も年を取るに従って、この傾向が強まっているのを感じる。逆に今回の帰省で、認知がかなりアヤシイ母の域に至っても、顔は覚えていることがわかった。

この要因は、NHKのテレビ番組「チコちゃんに叱られる!」で取り上げられたのを観たことがある。ひとことで言えば「顔と名前は脳の別々の場所で覚えているから」である。

顔は右脳、名前は左脳で記憶しており、その橋渡しがうまくいかないと「顔は覚えているけれど、名前は出ない」状態が起こるとのこと。それを防ぐ方法として、例えばエピソードとともに記憶するのが良いらしい。

ただ認知症が進むと、この過去のエピソードに関わる記憶も混濁して怪しくなるため、やはり名前が出てきにくくなるのだろうなあと思われる。

母の小学校時代のアルバムが実家にあったのでそれを持っていったことがあるのだけど、母はそれを見ても全く反応しなかった。もう少し懐かしそうな様子を見せるかと思ったのだけど、そうはならなかった。

一般に老人は、最近のことはすぐ忘れるが昔のことは覚えていると言われる。でも、それはあくまでも認知症が進む前のことなのだと理解した。

もしかしたら記憶自体は残っていて、その記憶に基づく「今の」感情との結びつきが弱かったり、適切な反応ができなかったりなのかも知れないけれど、いずれにせよこちらが想定する反応はできなくなっている。

いずれ自分もそうなるのかも知れない。でもそれは、やむを得ないものとして受け止めるしかないのだろう。

「子供叱るな、来た道じゃ、年寄り笑うな、行く道じゃ」という言葉。この言葉の深みを感じるようになってきた。自分もまたその大きな流れの中にいることを自覚して、これからを生きていきたいものである。

お読み頂き、ありがとうございました。

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