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卒業設計で考えたこと。

いつか書こうと思っていてずっと先延ばしにしていた卒業設計の記録。

学内提出から9ヶ月経ってやっと手が動きはじめた。

修士設計の前に自分の価値観・考え方をどこかで一度整理しなくてはと思い書いています。文章を書くことは苦手なので拙い部分はご了承ください…。

僕の通う理科大は10月まで論文を書いていたので、1年前のちょうど今頃から卒業設計が始まった。卒業設計といえど、1月末に提出だったのでさほぼいつもの設計課題と同じくらい(約3ヶ月)しか時間はなかった。


卒業設計のコンセプト

僕の卒業設計を簡単に説明すると

渋谷という都市に、火力発電所、ゴミ処理場など日常から切り離されている7つの施設と、商業施設等が複合した塔を設計し、ブラックボックス化した私たちの生活の裏側を"日常"に表現することによって、人間が抱えている問題を"提起"する

ということ。

もし、ショッピングモールの中で石炭が燃やされてたら、もし美術館の展示室にゴミの匂いが漂っていたら、もし自分たちの遊んでいるプールが下水処理された水であったら、もし牛肉を食べている横で牛が屠殺されていたら...もしそんな施設が都市の真ん中にあったら人は何を感じ、何を思うのであろう。

どうしてこのような卒業設計をしたいと思ったのか


卒業設計のきっかけ-スペキュラティヴ・デザイン-

卒業設計を考えるにあたって1つだけ決めていたことがあった。

それは、『社会に対して自分の価値観・世界観を建築で表現する』こと。



はじめに、自分の好きなものの世界観や作品性に共通な何かを見つけ出すために、自分の好きなこと、好きな映画、好きなアート作品、好きな漫画を振り返ってみることにした。

ただ"好き"なものはたくさんあるが、見た後にハッとさせられるもの、考えさせられるもの、自分の考え方に影響を与えたと言う意味での"好き"なもの。

そこに共通するのは、

"未来や現在の社会問題を人々に問いかけている"

ことであった。

例えば行き過ぎた技術によって管理された世界を描く「ハーモニー」や「サイコパス」、その街で出たゴミで壁を作るゴードン・マッタ=クラークの「ゴミの壁」、建築でいうとアーキグラムの作品の数々 。

調べていくうちに、それらはスペキュラティヴ・デザインという分野の考え方に当てはまることが分かった。

スペキュラティヴ・デザインとは

デザインを、物事の可能性を”思索”[speculate]するための手段として用いることをスペキュラティヴ・デザイン[speculative design]という。スペキュラティヴ・デザインは、想像力を駆使して、「厄介な問題[wicked problem]」に対する新しい見方を切り開く。従来とは違うあり方について話し合ったり討論したりする場を生み出し、人々が自由自在に想像を巡らせられるよう刺激する。スペキュラティヴ・デザインは、人間と現実との関係性を全体的に定義し直すための仲介役となる。   (スペキュラティヴ・デザイン 問題解決から、問題提起へ。—未来を思索するためにデザインができること-)


これまでデザインは、”問題解決”の手段として扱われてきたが、スペキュラティヴ・デザインは"問題提起"することを目的とし、非現実と現実の間にまたがってデザインする。

そこに魅力を感じ、これなら『社会に対しての自分の価値観・世界観を建築で表現する』ことができると僕は考えた。


卒業設計の過程と内容

スペキュラティヴ・デザインという考え方にたどり着いてから、何を社会問題と見立て、どんな建築を作ることで、自分の世界観や価値観を表現しようか迷っていた。

悩んでいる時に、緊急事態宣言が発令され今までにない非常時の中1つのニュースが耳に入ってきた。

『 新型コロナウイルスによる死者何人 』

というコロナによる被害を伝えるニュースであった。

たしかにコロナによって現在では、世界中で何万人も亡くなってしまい、被害は増え続けています。 それはコロナ時代の今、当たり前に耳にするし、メディアは伝えなくてはいけない、僕たちは知っとかないといけない情報である。だけど僕はそこに違和感を持ってしまった。

コロナによる死者の報道はするのに、どうして地球の裏側で飢えて亡くなってる人の数や戦争によって亡くなった人の数は報道されないのだろう。

”世界では6秒に1人の子どもが飢え死にし、7秒に1人の人間が、必要な治療を受けられずに亡くなっている”

という地球の現状は、新型コロナウイルスが蔓延する前から事実であり、皆さんも聞いたことがあると思う。それなのにニュースで取り上げられることはめったにない。

これは、貧困に原因があり、その貧困を作り出しているのは、私たち先進国と発展途上国の間にある経済格差なのに。

また、私たち人間がこのままの生活を続けると、地球温暖化によって数百年後には地球が滅亡すると言われている。こうなってしまうと、被害は何万人という非ではなくなる。未来の死者に目は向けなくていいのであろうか?

著書『宇宙船地球号』 『沈黙の春』など多くの言葉で依然このような問題は訴えられてきたが、私たちは依然破滅への道を辿ってるように僕は感じた。


また、コンビニに置いてある募金箱。100円で子ども1人の命が救えますと書いてある。たった100円で1人の命が救えるのに、ほとんどの人は募金しない。でもどうだろう、誰でも目の前で死にそうな子どもがいたら幾らでも払って助けようとするだろう。

これらは全て、環境問題や貧困問題、世界中で今起きているの問題や未来に起こりうる問題と物理的・心理的な距離によって自分事として考えられないからである。

そこで、僕は自分の日常の裏側に目を向け、普段の生活から切り離され、ブラックボックス化した部分を日常に持ってくることで、私たち人間の抱えた問題を改めて提起することができないかと考え、卒業設計の大まかな方針が決まった。

コンセプトモデルの作成

ここからは制作の過程である。
自分の日常生活で使っているものや消費しているものから、よく分からない形をつくり白で塗り潰すというコンセプトモデルを作成した。これは、作成過程を逆再生する動画を作ることにより、よく分からない白で塗り潰された模型が自分の身の回りのものであることを表す、コンセプトムービーともなる。


ここまでの段階で、もう12月中旬。。。
敷地やプログラムが決まってスタディに入る頃には年末になっていた。

敷地は、世界の問題なので、ニューヨークや上海、パリなど先進国の都市を選ぶかも悩んだが、最終的には、見た人聞いた人に身近でリアリティのある方が良いと渋谷のスクランブル交差点前を選んだ。

プログラムに関しては、火力発電所、ゴミ処理場、屠殺場、工場、下水処理場、農場用地、商業施設、美術館、オフィス、住宅、ホテル、レストラン、プール、娯楽施設といった施設が複合した塔である。

(s=1/200 本模型)

上層のホテルや住宅、工場で出た排水は中層の下水処理場まで流れプールの水へと浄水され、ゴミはゴミ処理場まで落下し、その匂いは美術館や商業施設、周囲へ漂い、そのゴミを燃やすことで電気を生み出し、電気は施設内や周囲に送られ、熱を冷やすのにプールの排水を使い、そこで食べられる食事は上層の農場用地で取れた野菜、その野菜の肥料は人や牛の排泄物であり、育てるのに撒かれる水は生活排水であり、その牛が屠殺される横ではレストランが経営され、一方でオフィスで普通に働く人がいる。都市で営まれる人間の行為の全てがここで循環し完結する。

とても不気味で異様な塔である。

でもこれは都市での表と裏で行われている日常であり、普通に生活していると意識することがほとんどない部分でもある。誰もが当事者であり、その普段の生活はこういった目に見えない部分に支えられて、どこか見えないところで悪影響を生み出しているのである。

これが僕が卒業設計で考えていたこと。

この卒業設計を見てくれた人に勘違いしないで欲しいことが1つある。

それは、僕は節電したりゴミの分別をして欲しいと言ってるわけじゃないということ。

節電したりゴミを分別しなきゃいけないのはどうしてか考えて欲しいということである。

たぶん、人は誰が何を訴え、行動しようとこのまま破滅への道を突き進み滅んでしまうのだと思う。

今の生活をやめて、未来を救えと言ってるわけじゃない。

自分の生活が何の犠牲の上で成り立っているのか知らないで消費し続けるよりは、まだ知っている方がマシであるということである。

この建築と空間を想像すること、もしくはこの卒業設計そのものを通して誰か1人でも日常の裏側を見つめ直すきっかけになればと。。


https://rkarchi.wixsite.com/sotuseihametu

(これは渋谷で展覧会を行った時に作成した卒制をまとめたもの。図面やパースなどの詳細はこちらから見れるので興味を持ってくれた人はよかったら)


卒業設計結果と反省

結果は
  東京理科大学理工学部学内最優秀賞
  卒、55選
  仙台デザインリーグ100選
  赤レンガ卒業設計展80選
学内では評価していただいたものの、学外では一次審査突破止まりであった。

反省としては、時間が余りにも足りず学内提出から学外の卒業設計展までブラッシュアップしたり、表現を凝ったりすることができなかったこと。学内の講評会で指摘された、記号的の話や渋谷という都市性に対するアプローチ、形態の構成の話は特に詰めたいことであった。学外には提出するのが精一杯で、ブラッシュアップする時間がなかったことが少し悔しい。

ただ、提出、卒業設計展が終わったから終わりということではなく、これからも向き合っていきたいと考えている。

また、先生や先輩にほとんど相談することなく提出まで進めてしまったため、もっと早い段階でエスキスや助言をお願いしていたらもっと良い作品になっていたのかもしれないとも思う。一方で、コロナの影響でブースも与えられず家で1人でやってたからこそ、たどり着いた案であり表現でもあると思う。

他にも細かい反省点はたくさんある....

だけど、『社会に対しての自分の価値観・世界観を建築で表現する』ということに関しては、やりきれたのかなと思う。


今考えていること

『社会に対しての自分の価値観・世界観を建築で表現する』ということは、今考えると、社会問題に対して設計するという行為によって向き合い、建築によって示すということだったのだと思う。これは設計者なら、誰しも常に考えていることで、僕もこれからもそうでありたいと思う。

卒業設計を始めてから1年経って、今興味や関心があるテーマは卒業設計に引き続き、環境問題やエネルギー問題、さらには高齢化の問題、安楽死、人の生死、SDGs、福島第一原発、ダークツーリズム、人工知能といった、建築では解決することが難しいような大きな社会問題であり、ダークなテーマが多い。

卒業設計をやるまでは、ダークなテーマは、腫れ物に触るように扱われ、なかなか評価されることもなく建築でアプローチするには向いてないかもしれないと思っていた。

でも、人として生きている限り、解決できなくても考え続けるべき問題であり、考え続けていきたい、自分の中で答えを見つけたいと思っている。

僕はそんな立派な人でも優しい人でも、善人でもない。偽善者なのかもしれない、でもやらない偽善よりやる偽善の方が良い。何より、自分のためにやっている。


今更卒業設計のことを文章としてまとめてみました。逆に今だからこそ客観的に振り返ることができたのかもしれないです。長くなってしまいました。こんなにも自分のことしか書いてない自己満文章を、もしここまで読んでくれた人がいたら、本当にありがとうございます。。

卒業設計は自分の考えてることやりたいことを、これから社会を作っていく仲間と今社会を作ってる建築家の方々に見てもらえる素敵な場所だと思います。これから卒業設計に取り組む人は大変だと思うけど頑張ってください★

(s=1/1000 ボリューム模型)

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