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嘘をついて入ったビキニ会社での6年間

大学生の頃、ドレッドヘアでレゲーアーティストのような強面の友人に意外なことを言われた。
「リコってメンタル強いよね。悩みとか無さそう。」

確かに、大した悩み事はなかった(あったとしても一晩寝ると忘れてしまう)。ドレッドフレンド含め多くの美大生は繊細・器用で悩みがあることが美徳な風潮がある中、私は確実に浮いていた。

真っ黒に焼けており、誰よりも元気で繊細のかけらも備えていない。ただ、メンタルは最初から強くなかった。振り返ると、私が今のように(能天気に)なれたのには明確な理由がある。

ギャルに育てられたのだ。

実は昨日まで私は6年間ビキニの会社に勤めていた。(正社員ではなく、お手伝い?サポート?特殊な働き方なので言語化不可)
なんのスキルもない大学生の私を拾ってもらえたから、今の自分がいると言っても過言ではない。現師匠の木本さんと自由に働けているのも、ビキニギャルお姉さんたちのおかげなのだ。あまりに濃すぎる6年間だったため、忘れる前に記録としてここに出会いから今に至るまでを振り返ろうと思う。

*ちなみに、ここで働くまでギャルに出会ったことがなく、ずっと架空の人物だと思ってた。なので社長や社員さんに初めて会った時は可愛すぎてびっくりした。

撮影のロケハン。photo by 217さん

遡ること6年前、私は大学一年生だった。そして、自分に絶望していた。日本の美大でインテリアデザインを学ぶ!!と決めて、高三の夏に帰国。高校生までは絵が得意だと思っていたため、自信満々で大学に入学した。なんならちょっと調子に乗っていたと思う。だが入学するとその自信は一瞬で消えた。上には上がいた。学年の底辺にいた私は、どうやったらもっと面白いものが作れる人になれるのかと考えた時、周りの学生のようにインテリアデザイン事務所にアルバイトで入っても差がつかないのではと思い、学校で学べない事を身につけて他の生徒と差をつけようと決めた。その時、なぜだかわからないが、ビキニの会社に入ろうと思った(え、あたおか?)。ファッションに全く興味がなく、おしゃれがわからない私だが、海が好きという理由だけでビキニの会社に入ろうと決めた。怖いもの知らずだった大学生の私は、まずその会社の社長にインスタグラムでDMを送った。(私は気になる人や会いたい人にすぐDMを送る癖があり。。。良い子も悪い子も真似せず社長や知らない人にDMはしないでください)
そもそもインターンや本社アルバイトの募集をしていなかったが、とりあえずそこで働かせて欲しいと伝えたら、infoメールから返信が返ってきた。ポートフォリオを持って面接が決まった。

その面接を今でも鮮明に覚えている。
可愛いギャルお姉さんが登場するのかと思ったら、
いかつい日焼けをした男性2名(役員)が登場。
そして、私に何ができるかを聞かれ、
とりあえず合格したもん勝ちでしょ!!
と、私の中のヤンクミ(ごくせん)が出てしまい、
何一つスキルがなかったが、聞かれたことは余裕ぶって「できる!」と返事をした。そしたら当然の如く、受かってしまった。
まあそれはそうだろう。だってなんでもできると嘘ついたのだから。

実際の会話は以下のように行われた
日焼け役員「adobeできる?」
私「はい!できます!)^o^(」←嘘。
日焼け役員「Photoshopできる?」
私「はい!できます!(^O^)」←嘘。
日焼け役員「Illustratorできる?」
私「はい!できます!(^-^)」←嘘。
日焼け役員「英語も喋れるの?」
私「はい!喋れます!(^。^)」←珍しく事実。

そんなこんなで運よくインターンとして働くことが決まった。
adobeができると堂々と嘘をついてしまったので、
合格連絡をもらってまず最初にしたことは、BOOKOFFへ向かうこと。
”初めてのPhotoshop"と"初めてのIllustrator"という2冊の本を買い、急いで勉強を始めた。受かったはいいが、何もできないので、流石に少しの焦りがあった。だが本で学べることなんてほんの僅かで、何事も実践をしないと身につかない。入社直後、私は最大のやらかしをする。

特に役職の志望がなかった私は、なぜかグラフィックデザインのアシスタントとしてACOさんというグラフィックデザイナーの上司を手伝うことになった。そして最初に任された仕事が、LOOKBOOK(ビキニの写真集)の入稿データの作成だった。このLOOKBOOKは、ブランド最重要制作物で、毎年つくっている。初っ端かな激オモな仕事を任された私は、大嘘をついた代償を払うことになる。
空データを作ってしまい、真っ白な状態の入稿データを印刷所に送ってしまった。
60P以上あるLOOKBOOKにはおそらく100~150枚ほどの画像データが入っているのだが、何一つ画像が表示されないデータを作ってしまった。#写真がない写真集爆誕
印刷物のデータを作る際、画像を差し込む場合は「埋め込み」という作業をしなければならない。簡単にいうと、データ内に画像を保存をする作業。デザイナーやイラレ経験者なら誰しもが知っている「埋め込み」を当時の私は知らなかった。ただでさえ入稿期限がギリギリなのに、真っ白なデータを送ってしまったので、再度作業を行わなければいけなかった。ミスが発覚後、100を超える画像データを一つ一つ、手を震わせながら埋め込みボタンを押し続けた。
ここで、社内に私が何もできないことがバレる。
19年生きてきて、ここでようやく嘘は良くないと学ぶ。(遅すぎる)

あってはならないミスを犯してしまった私は、
あ、もう命はない、、DEATH IS COMING
と本気で思ったが、意外なことに軽く注意を受けただけで済んだ。これを機にACOさんにイラレとフォトショを一から教えてもらい、めちゃくちゃしごかれた。これ以上迷惑をかけてはいけないという思いと、春休みで学校もなかったため、毎日会社に通いadobeの使い方をインプットした。私の大学ではテクニカルなソフトウェアのスキルを学ぶことはできなかったので、このインターンの経験がなければ、というかACOさんに出会っていなければadobeをこんなに使いこなすことはできなかっただろう。私がクリエイティブを仕事にできたのは確実にACOさんのおかげである。

ACOさんは私にとって上司というより、お姉さんに近い存在で、一緒にパーソナルジムに連れて行ってもらったり、出張の時は夜にTARGET(アメリカの大型スーパー)に行ってショッピングしたり、遊びもたくさん教えてもらった。あとは、仕事中ちょっと長めの瞬きをしていたら愛の肘パンチを喰らい起こされていた(本当にちょっと目を瞑っていただけで、寝てはいない。だって仕事中だから)。あまりに近い存在で生意気な態度をとってしまうことも多かったが、いつも丁寧にいろんな事を教えてくれた。

ビキニの会社は小さな会社なため、グラフィックデザイン以外にもいろいろな業務に携わらせてもらった。海外での撮影や展示会、社員旅行などに参加させてもらい、世界中を飛び回ることができた。中でも印象的なのは某ガールズコレクションに出展したこと。ランウェイで歌う海外アーティストのブッキングから当日のアテンドなどを行い、あまりのハードワークに激痩せし、早く大人になりたいと二十歳の自分は嘆いていた。

大学卒業後、フリーランスになってからも声をかけてもらい、現在に至るまでお手伝いをさせてもらっていた。なかなか経験できない(&言えない)過酷な状況もあったが、いろんな意味で社会経験をさせてもらい、鍛えられた6年間だった。

一旦現時点で、区切りをつけることになったが、きっとビキニとは切っても切れない縁だと思っている。こんな私ですが、ギャルお姉様たち、末長くよろしくお願いいたします。

社長と私 in Palm Springs


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