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母の生まれた頃
母の自伝を書こうと思い立ち、タイトル、何が良いかなー?と考えています。
「娘から母へ、あなたの伝記」
にしようかなー?と、今朝、閃きました。
さて、昨日は、22歳までの年表が完成しました。
かなりハイペースですすめられた。わーいわーい。
さて、母の生まれた頃の話
お父さん(文五さん)が、エアコンの設計をしていたため、大阪にいた。
母は、大阪のセントバルナバ病院で生まれた。
大正時代の建物のような、レンガ造りの病院で、中には螺旋階段があった。
セントバルバナ病院のことは、はっきりと覚えている。
院内は暗くて少し怖かった。
そして、4歳まで住んでいた大阪での空襲を覚えている。
水が漏れてくる防空壕に避難していると、入り口のところから、外が見えた。
空が真っ赤になって、大阪が燃えていくのがわかった。
空襲は、いつも夜中。
寝ていると、叩き起こされて、少し離れた町内の防空壕に逃げ込む。
不思議に怖いという気持ちはなかった。
2歳の妹(あつこ)は、ギャンギャン泣いていた。
私は泣かなかった。
ある日、近所の公設市場に爆弾が落ちた。
公設市場は焼けてしまったが、案外、怖いという意識はなかった。
昼間は、空襲がないので、普通の生活を送った。
妹は泣き虫だったが、私は強い子だった。
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