乳がん経験者は語る3〜最終結果が出るまで一ヶ月〜前半

こんにちはリコです。
乳がんが分かってもうすぐ2年になります。

今、振り返ってみると、一番辛かったのは、告知でも手術でもなく、最終結果が分かるまでの一ヶ月間でした。

この一ヶ月は本当に何も手につかず、ほとんど布団の中で泣いていました。今回は、この一ヶ月について書きたいと思います。長くなるので前後半に分けて書きます。

個人病院の乳腺科から、多分悪性だと告知された次の日、実家の母が来てくれました。母が来てくれたのはすごくありがたかったです。私は告知のショックで家事ができず、外にも出たくない、テレビも見たくない、何もしたくない鬱状態だったので、母が来てくれ、家事を一手に引き受けてくれ、甘えられたのは、今思えば、私の人生の中で一番贅沢な時間だったのかもしれません。

母は元々、明るく前向きで、そして少し天然な人なので、私はかなり癒されました。

不安がる私を、せっかく病気を発見できたんだからあとは治せばいいじゃん!と明るく励ましてくれました。

いや〜母は強し。

一週間後、個人病院へ細胞診の結果を聞きに行きました。夫、母、長女、私4人で聞きにいきました。

医師は、
3センチの乳がんで間違いないです。大きさが大きさだけに初期ではありません。小さければ、部分麻酔で取れますが、大きいので、全身麻酔て手術になります。紹介状を書くので、手術できる病院を探して下さい。
と淡々といいました。

その言葉を聞いて、まず頭に浮かんだのは、娘のママ友でした。私が一番信頼しているママ友。

乳がんを経験していて、その事を話してくれた事がありました。

すぐ、ママ友に連絡し、事情を話すと、自分が手術をした市の総合病院の先生がいいからと教えてくれました。
その旨を病院に伝え、予約を取ったもらおうとしたら、その先生は人気すぎて、予約は半年後まで埋まっているそうでした。ママ友にもう1人、先生の名前を聞いていたので、その先生なら予約がとれました。
(私にはこの先生で正解でした!)

しかし、総合病院の診察予約は二週間後。私は一刻も早く手術しないと、がんは大きくなるだろうし、転移の恐れもある。焦りと不安で一杯でした。

でも、まだまだ序の口、これから先が長かったのです。

私は先の見えない真っ暗なトンネルに入っているような気持ちでした。

今回はここまで。

ではまた♡

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