こんにちは。柳谷典子です。
市川さん、木村さん、高澤さん、それぞれの自己紹介を通して、様々な女性の生き方と、それぞれの置かれた立場で悩み、葛藤し、そしてそこからまた新しい道を拓いていく姿が見いだされたと思います。
一人ひとりの物語は、本当に多様ですし、映画や小説然り、実生活でも周りの人たちはそれぞれに異なる生き方をしています。
しかし一方で、例えば経済活動においてはマーケティングの対象として、社会科学においてはその時代を象徴する代表的な人生の道筋としてその生き方は分類され、世の中の大きなストーリーを作りだしています。

わたしの修論のテーマは「子供のいない働く女性の社会的アイデンティティ形成」です。このテーマに行き着くきっかけとなったのは、そのような社会の分類において主流のストーリーにならない人たちが実はたくさん存在するにも関わらず、社会的に「見えない」存在になっているのではないか?という疑問からスタートしました。

女性の生き方、ってそもそもなんだろう?

もともと、大学院の門をたたくきっかけとなったのは、企業が社会とつながるあり方について、CSR活動の変化を踏まえた新しい緩やかなつながり方を模索してみたいと思ったことにあります。振り返ると随分とテーマが異なるように思われるのですが、その根底には、企業の中でも規範的な社会との「つながり方」が一方的に設定されていることに、疑問をいだいていたのだと思います。
例えば、女性活躍推進の名の下で、極めて男性的な視点からの一方的な推進が行われているのではないか?ワーキングマザーが前提とされていないか?など、企業で実際に働く者として日々感じる疑問がふつふつと湧いていました。ですが、なんとなく、「モヤモヤ」と感じることを言葉にすることができずにいるときに、21世紀社会デザイン研究科の文字が、文字通り目に飛び込んで来たのです。
働く女性の生き方については、フェミニズムやジェンダーの視点はもとより、成人発達心理学、家族社会学、キャリア教育学など様々な分野で議論がなされていますが、私は特に社会がその生き方を規定しているように思えたため標準的ライフコースが与える影響について考えてみたいと思ったのです。ライフコースについては次回にお話したいと思います。

さて、特に、大企業にいると、その制度やあり方は、70年代後半から顕著になり始めた、日本社会における「性別役割分業」を基盤とした標準ライフコース設計に応じて、物事が進められていることが多いように思います。もちろん、先に上げた女性活躍推進施策も相まって、働く女性たちの数は多くなりました。しかし、ここでは意識の問題を指摘したいと思います。

「性別役割分業」とは、平たく言うと、「夫が外で働き、妻が家庭で育児と家事を行う」家庭の役割を性別で分担することです。
少し歴史を振り返ると、前近代においては、官吏や企業に勤める人はごくわずかであり、人々は職住未分化の状態で主に第一次産業に従事しており、女性もその担い手として家業の労働に従事していました。産業化が進むにつれて、初期の時代は工場勤務など家業とは離れた個人の労働者という形態が現れ、女性労働者も増えました。

その後、第二次世界大戦を経て日本が経済成長を目指し、経済の構造が第一次産業から第二次産業、第三次産業へと進みホワイトカラー化するに伴い、女性の生き方に変化が見られます。教育を受け、社会進出を果たすも、結婚後はサラリーマンの妻として、家庭において家事・育児に専念する専業主婦が登場するのです。
前近代と異なる点は、産業化に伴う性別役割分業の結果として主婦業という無償労働の提供者であることを社会として認識している点です。
そして、バブル期を迎え、1986年に男女雇用機会均等法が施行されます。バブル崩壊から経済低迷期に入り、男女平等教育や、昨今の働き方改革、少子化問題などの社会的課題を背景に、女性の社会進出支援が積極的に行われ、現代においては女性が結婚後も就業を継続することが、女性の生き方の主流に変わったとも言えるでしょう。ですが、厚生労働省雇用均等・児童家庭局『平成28年度版 働く女性の実情』によると、「自分の家庭の理想は、『夫が外で働き、妻が家を守る』ことだと思う者の割合」は全国平均で男性44.4%、女性43.9% あり、男女の4割以上が性別役割分業を肯定する回答しています。このことから、高度経済成長期に一般化した性別役割分業に対する意識は、現実の女性の就業状況に反して、今日においても標準的なパターンとして社会に根ざしていることが浮き彫りにされます。

「モヤモヤ」の正体

今、働く女性たちが抱えるモヤモヤやストレスの要因として、意識下で、このような性別役割分業が社会全体に根付いている中で起こる葛藤ではないかと考えられます。
例えば、ワーキングマザーにおける育児負担のストレス(夫が「手伝う」というスタンスに腹が立つ!)など、よくSNSやメディアでも話題になっていますね。

一方、私はそこに上がってこない声に注目しました。
それは、「子どものいない働く中年期の女性たち」です。
きっかけは、私の周囲の働く40歳台の女性たちが自分たちの働き方・生き方について「モヤモヤする」というのをよく耳にするなと感じていました。
先にお伝えした通り、私自身もモヤモヤ。高澤さんの大学院入学のきっかけも「モヤモヤ」。
40代の熟したといわれる世代の働く子どものいない女性の「モヤモヤ」には一体なにがあるのでしょう?それを知りたくなったのです。
発達心理学では、中年期は自己の内部と外部との関係性において葛藤が起きる時期とされています。でもそれだけでは説明し得ない社会的な背景があると考えたのです。
特に、中年期の女性には、もちろん様々な生き方があります。いわゆる専業主婦、働く子供のいる女性「ワーキングマザー」は、現在では群として名称を獲得して社会的に一般的な存在になりつつあります。ですが、そこに私自身も含めて存在する「子供のいない」女性たちを表す言葉がないのです。
英語圏では、子どもを持たないことを選択した女性の呼称として“Childfree”という言葉が使用されており、一定の社会でのアイデンティティを獲得しています。ですが、今の日本では、その言葉すらありません。それはなぜか?
「性別役割分業」の意識が根付いている社会では、女性は子供を生むことが当然であり、そうでない女性たちは、生き方の「標準外」として「その他」に分類されるためです。
よって、私の研究は、同じように「モヤモヤ」を感じている人たちの「声」を集め、語りの中から社会の文脈に仕込まれていることに対する葛藤を浮かび上がらせ、そして、そこから新しい「言葉」を獲得していきたいと思い、始まりました。

「語る」ことは、変えていくことにつながります。私達の研究も、私達自身が自身を見つめ、語り、そこから社会での認識を少しでも変えていけたらいいなと思っています。
次回は、中年期の女性のライフコースとライフサイクルを中心にお話したいと思います。


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