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連載:城東の奇跡~大激戦!東京15区選挙レポート 第15節:原点

 4月27日。とうとう投開票日前日になっていた。泣いても笑ってもこれが最後である。この日は昼間に用事があり一旦離脱したものの、街宣と電話かけで最後の訴えを行って回った。

 午前中はアリオ北砂における市民連合合同街宣。前節で述べた通り、多様なテーマを酒井なつみさんが受けとめて力強く国政への決意を語る街宣となった。
 午後は門前仲町での街宣。駅で階段を上っていた時、すれ違った方が、「酒井なんとかさんって方よ。看護師助産師ですって。」というのが聞こえ、思わず「酒井なつみです。1票をよろしくお願いします。」と念を贈った。他方で、横ではライバルの政党が必死にビラを撒いていた。あちらもこちらも1議席をもぎ取るために精魂尽くしているのだ。
 街宣開始前にビラ配りをしていたのだが、捌け方が半端ではない。配ろうとすると、「もう頂きました」とか、受け取ったビラを見せたりする方ばかり。中には、「がんばれよ」と激励をくださる方も。
 街宣は、岡田幹事長、長妻昭都連会長や蓮舫参議院議員をはじめ応援弁士が続々と駆け付ける。酒井なつみさんも最終日とだけあり、感慨深げな表情である。途中、暴徒化した他政党支持者が狼藉を働くこともあったが(のちにその陣営もこの人に手を焼いていたことが判明する)、草の根の力はちょっとやそっとの妨害には屈しない大きな力となっていた。前日には、東陽町の小川淳也前政調会長の街宣に「つばさの党」が妨害に入ったが、草の根の力と小川さんの熱い力が融合して最後まで演説をやり遂げた。

 マイク収めの会場は、豊洲であった。ここは、告示前私がスピーチを行った「原点」であるし、酒井なつみさんにとっても、古巣昭和大学江東豊洲病院のある「原点」である。街宣開始までに時間があったので、近くの「かつや」でロースかつをいただき、酒井さんの必勝を祈願した。外に出ると、どこかの陣営の選挙カーの声。主は、酒井なつみ陣営の別動隊だった。異例の選挙戦の中でも、それぞれの持ち場で、皆が酒井なつみの宣伝を必死に続けた。そして、皆が最後は豊洲に集結する。

 豊洲と言えば、築地の市場の移転先であった。それを決断したのが、小池百合子都知事であった。その小池都知事が2017年衆議院選において、「希望の党」を作り、当時の民進党代表前原誠司氏との合意で民進党からの候補予定者を迎えた一方、リベラル系の政治家や旧民主党での重鎮を「排除」するという暴挙に及んだ。
 豊洲において、そんな小池都知事に「排除」されたメンバーである枝野幸男前代表、長妻昭都連代表、手塚仁雄都連幹事長が集ったというのは象徴的な出来事であった。演説会が始まるとたちどころに人が集まってくる。私は幸いにもまたもや目の前の席で街宣を聴取することができた。
 応援演説の中で最も印象的だったのはやはり枝野幸男前代表(手塚氏曰く、「社長」と言われているという)であった。「排除」された直後に「立憲民主党」を立ち上げ、「草の根からの民主主義、まっとうな政治」を訴えた7年前の新宿での街宣。まだ有権者ではなかった私も、投票が出来たら比例区には立憲民主党と書くのにと歯ぎしりした記憶が鮮明に残っている。そして2024年4月27日。まさにその「原点」を呼び覚ましてくれる力強い演説が夜の豊洲にこだました。

「まっとうな政治を何としても取り戻さねばならない、創り上げなければならない。明日の補欠選挙はまっとうな政治への第一歩にしなければならないのではないでしょうか。まさにこの裏金問題は、裏金の象徴なんです。上からの政治ではなく草の根からの政治へ。老後を、子育てを、病気になった時を、仕事を失った時を、皆でしっかりと分かち合い支え合えば、もっと安心して暮らせる、もっと豊かさを実感できる、そんな社会に変えていこうではありませんか!そして暮らしに寄り添った政治、この補欠選挙に、酒井なつみさんが勇気を持って立ち上がってくれたことを本当にうれしく思っています。7年前に、私が訴えた立憲民主党とは何なのか、その想いを体現してくれているのが酒井なつみさんだと思っています!この日本においていちばん寄り添わなければならない医療、看護の分野の第一線で活躍してきた酒井なつみさんだからこそ暮らしに寄り添った政治が出来るのではないでしょうか!」

 胸が熱くなった。絶対に酒井なつみさんを、国会に送り出そう。
 そして、私は今回の選挙の「原点」をかみしめた。「草の根の力を見せつける」ということだ。私たちには大きな団体はいない。お金も与党のようにない。職員も少ない。ボランティアのウェイトが大きい。一見力なく見えるが、しかし、そうした「草の根の力」が、党派も思想も超えてひとつになることで、大きな「上からの政治」は必ずや打破できる。今回の選挙をその第一歩にせねばならない。もう一度、我々の原点を思い出さねばならない。2週間、いやこの6年半の立憲の歩みが走馬灯のように思い起こされる演説に胸が熱くなった。何のために入党したのか。何のために支持しているのか。初心忘るべからずというメッセージを枝野さんは残してくれた。
 そして、最後の酒井なつみさんの演説。

「看護師助産師として12年間、働いてきました。区議時代は、実際に声をあげたら変えられるんだ。それを実感しました。この街でも沢山の方が子育てをしています。私は昭和大学江東豊洲病院で働いていました。少子化対策、子育て支援、私がしっかりと進めていきます。江東区のためだけではない。国のために私は役に立てると自負しています。政治に期待しても何も変わらないと思うかもしれません。でも私は、この街の政治の信頼を取り戻したいと思って立候補しました。皆さんの期待を背負って頑張ります。明日からの政治の景色、変えていきましょう!!」

 普段、演説を聴いて涙が出ることはめったにないのだが、この夜は泣けた。草の根の力で、酒井なつみさんを国会へ送り出そう。こどもまんなかの豊かな日本を作ろう。誰かを排除するのではなく、誰ひとり取り残さないあったかい社会を作ろう。江東区の暗黒時代に今度こそ終止符を打とう。

 最後の演説を終え、酒井さんや枝野さんが聴衆に挨拶する。私も、枝野さんと直に触れ合うのは初めてだったので写真を撮っていただいた。そして、酒井なつみさんが車に乗り込み、最後の挨拶に江東区内を回る。現場の皆で見送りする。どこからともなく、「さかい」「なつみ」とコールが重なり合う。にぎやかなコールに見送られて、酒井なつみ街宣カーは夜のタワマン街へと走り出していった。

 街宣後は、様々な知り合いの議員や関係者と挨拶した。その中で、陣営の関係者に、「明日きっといい結果が出るから」とささやかれた。私もそんな予感がして、信じて待つことにした。

当時の私のポストを編集して再掲する。

 2週間、酒井なつみさんの応援にいそしんだ。証紙貼り、街宣設営手ふりビラ撒き、練り歩き、動画写真撮影、電話かけ、そしてスピーチ……多方面でお世話になった。この選挙、私は「草の根の力」を示したいという大きな目標があった。1人1人が可能なときに可能なだけやる、というのは小さな力かもしれない。しかし、それが集まれば、大きな組織にも劣らず、妨害にも屈しない確固とした力になる。事務所一杯に詰めかけ、また街宣場所に集まった市民ボランティア政党関係者の集中力と熱気からそう感じた。まさに立憲民主党の原点を体現する選挙ができたように思う。酒井さんの強く優しく常に人に寄り添う人柄と草の根の力が混然一体となり、首都決戦のエネルギーが生み出されていた。他党諸派の皆様や市民連合の皆様の草の根の力も合わさり、当初から比べ物にならないほどに、酒井なつみの名前が浸透してきたように思う。

 4月27日が終わる。SNS上の訴えもここからは投票の呼びかけのみだ。今回は選挙権がないため、私の戦いはこれで本当に終わりだ。

 そして、運命の日。私は昼過ぎに思い出の砂町銀座へと向かった。


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