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博士課程で日本SFを研究 - シカゴ大学のブライアン・ホワイトさんの場合

シカゴ大学の博士課程に在籍するブライアン・ホワイトさんは、博論のために日本SFを研究している。私が最初に彼の名前を見たのは、批評家の小谷真理さんによるツイートで、カナダのヴィクトリア大学で開催されたカンファレンスで飛浩隆をテーマに発表を行ったという内容だった。そのときも米国でどのように日本SFの資料研究を行うのか気になっていたのだが、幸運にもその後、早稲田大学の准教授であるパウ・ピタルク・フェルナンデス博士からのご紹介によってインタビューの機会を得ることができた。

本インタビューはホワイトさんが資料調査のために2018年の2月から1年間日本に滞在していた際に収録した。インタビューは主に英語、ときどき日本語で実施している。英語の原文はこちらに投稿した。(インタビュー・翻訳:橋本輝幸)

2018年11月 新宿三丁目

生い立ち 日本文化との接点

BW: 私はアメリカ合衆国の東海岸側で育ちました。生まれはニューヨークですが、私が生まれてまもなく両親は離婚し、母さんはペンシルヴァニア州に、父さんはニュージャージー州に移りました。というわけで出身地はやや複雑です。私は主に母とペンシルヴァニア州に住んでいましたが、ニュージャージー州へ行きつ戻りつもしました。
 両親は知的で学究的な人たちだったように思います。父は分子生物学の博士号を持ち、かつては大学に勤めていました。母は退学したものの、大学では英文学を専攻していました。母は文章読解について持論があり、いつも本を読むように私に働きかけてきました。文章を読み始めたのはかなり小さいときからです。当時はーー私は1988年生まれで90年代に育ったのですがーーヤングアダルト小説が盛んになっていった時期でした。アメリカで人気シリーズだったもののひとつは『グースバンプス』です。もちろん『ハリー・ポッター』も、あと『アニモーフ』です。『アニモーフ』はSFです。つまりホラー、ファンタジー、SFにまとめて入門したわけですね。ミステリも読みました。たとえば『ナンシー・ドルー』シリーズのような。あれはたぶん60〜70年代の作品だったと思いますけれど。特に好きだったのは『アニモーフ』シリーズですね。本シリーズの面白さは、動物に変身できる子供たちが、その変身能力を活かして悪いエイリアンと戦うところです。文体も魅力的でした。一人称で描かれているので、読者は自分がトラやアリやタカなどになった気分で物語に没入できます。まったく別の生き物になる体験がとても魅力的でした。
 ともあれ、幼児のころはかなりSFを読んでいました。そのあたりが『ドラゴンボール』などのアニメが自分にとって面白かった理由と、つながっていると思っています。

日本文化に気づいたきっかけ
BW: アニメを観始めたのは中学のころです。そのころ、アニメを放映するテレビチャンネルは『カートゥーン・ネットワーク』くらいしかありませんでした。そして『カートゥーン・ネットワーク』はケーブルテレビのパッケージプランに入っていないと観られませんでした。他のチャンネルで『カートゥーン・ネットワーク』の宣伝を目撃したんですよ。『ガンダムW』のCMでした。本当に『ガンダムW』が観たくて、もう夢中になって!
 結局、親がケーブルテレビをプレミアムプランかなにかにアップグレードしてくれました。残念ながらそのときはもう『ガンダムW』の放映は終了していて、悲しかったんですが。でも『ドラゴンボールZ』や『ガンダム0083』が放送されてました。あとは『カウボーイ・ビバップ』とか『トライガン』とか、自分あたりの世代が不朽の名作と見なしている番組も放映されていました。何が名作かというのはもちろん異論もあるでしょうけど、このへんは特に米国で人気でしたね。目からうろこが落ちるような作品でした。
 というわけで、中高時代はSF小説そのものからは離れて、アニメやマンガに熱中していました。貪欲にアニメとマンガをむさぼり、少年ジャンプ系の作品を大量に読みました。一番最初に買った漫画は『NARUTO』の1巻です。

 ところで、そもそも日本のポップカルチャーに関心を抱いた原因は、いくつかありました。
 きっかけのひとつは、夏休みの間、従兄弟がしばらくうちに来ていて、そのとき『ドラゴンボール』のコミックを持ってきていたことです。それが初めて見たマンガでした。衝撃的でした。自分の固定観念とは真逆の順番から読むものだったのでーー日本のコミックのページの順番はアメリカの逆ですよね。あれは本当に「へえー」って体験でした。10歳から12歳くらいのころかな。
 それからまもなくして『パワーレンジャー』(※スーパー戦隊シリーズの米国ローカライズ版)が日本産だと知りました。『パワーレンジャー』は小さいころよく観ていて、具体的にどのシリーズだったかは忘れてしまいましたが、恐竜がモチーフのがお気に入りでした。あれが実は日本の作品だったというのはたいへん衝撃的で、私が幼少期を顧みるきっかけになりました。『マッハGOGOGO』も気に入っていた番組でした。そんなわけで、大好きだった番組が両方とも日本産だと判明したわけです。驚きましたし、もっと日本について知りたいといました。これは私がアニメやマンガに興味を持つようになったきっかけのひとつです。
 また、私にとってアニメやマンガはなにか違うもの、一種エキゾチックなものでした。地方に住んでいた自分は、地元を出てもっと大きな街にいくことを常に夢見ていたんですね。より大きく、エキサイティングな外の世界のイメージは、当時の私を魅了しました。

大学入学、安部公房との出会い
BW: そして大学に進学する時期がやってきました。当時の私は、大人になったら自分が何になりたいかなんてわかりませんでした。両親がよく勉強し、いい成績を取るようにと口やかましかったので幸い、高校の成績は良かったです。とにかく日本に関係することを学びたかったので、日本語や日本文化のプログラムがあって、他の分野も色々学べるような大学に行きたくて、結局ペンシルヴァニア大学に入学しました。でも専攻についていうと、入ってすぐに教授陣があまり自分のやりたいことをわかってくれていない感じだったんですよね。なぜかというとペンシルバニア大学の学生は、ウォートン・スクール(※ペンシルヴァニア大学のビジネススクール。全米で初めて設立されたビジネススクールの名門)や国際関係に進学する人が主流で、日本に関する授業を履修しているといっても、彼らにとっては第二専攻とか副専攻にすぎなかったんですよね。教授陣もそういう学生のほうに慣れていたんです。でも私は本当に日本について研究したかった。そこでまあ、日本文化と文学のコースを選択し、学部3年のときに1セメスターの間、京都に留学しました。
 やっぱり、ずっと興味があったのはポップカルチャーでしたが、学部時代は大体の授業が日本の主流文学の読解でした。でもアニメを分析する授業も取って『千と千尋の神隠し』を3回見返して論じたりもしましたね。読むのは教材ばかりで、このころはSFの摂取からは離れていました。学部の最後のころは、もっと広範囲のSFか、トピックに絞った研究をやりたいと思っていました。私が一番好きなことは、日本文化や、文化のはたらきや、それを米国の文化とどう相対させるとか、そんなようなことを読み書きすることでした。どうすれば学問の世界でこういうことを続けていけるかと考えました。しかし、すでに沢山の研究者がいるジャンルです。
 私は文学の他に映画についても学ぶことにしました。加野彩子先生(ペンシルヴァニア大学准教授)の戦後映画の授業を受ける直前でした。加野先生からは研究者の可能性という点でもとてもインスピレーションをもらいました。とても気前のいい方でしたし、その授業こそ私が初めて安部公房に出会ったところでした。彼女の映画に関する授業で『砂の女』を読み、勅使河原宏の映画を観て、私は安部公房に心とらわれました。いやぁ、人生が変わりましたね! 彼のスタイルに魅了されました。それで安部公房の英訳をさらに読みました。『箱男』を読んで、これがもう、ただただ見事な作品で、私は「よし、院に進学して博士号取って、安部公房と1970年代のシュレアリスムで論文書くぞ!」と決意しました。ところが、いくつか問題が出てきました。ひとつは多くの学者がすでに安部公房の著書を研究していて、数年後に安部公房研究の成果が論文としてどんどん世に出そうだと判明したことです。
 そこでテーマを再考する必要性が生じました。頭の中にアイディアはあったのですが、どこから手をつけていいものやらわかりませんでした。しかし私が安部公房とシュールレアリスト運動について興味を抱いていたのは、シュールレアリスム文学とテクノロジーがいかに関係するかということでした。そこでこのへんから広げられないか試みました。そのころ私はパシフィコ横浜内にある、日本語の集中教育・研究機関であるアメリカ・カナダ大学連合日本研究センターで学んでいました。そのプログラム所属中はどんなトピックについても指導を受ける機会が得られたので、ある先生に自分が興味があることの相談を試みました。まあそのときはまだ日本語がそんなにうまくなくて、言葉にするのが困難でしたし、自分の中にそもそも明確なアイディアがあるわけではなかったので、しゃべり始めたはいいもののまったく言葉にならず、先生にまた機会を改めましょうかと言われたりもしましたが。私が語ろうとしたのは、SFっぽい作家が好きなので、新しい技術と人間との関わりについて調査したいということでした。そんなわけで大学院の3年になってから路線変更しました。「オーケイ、これから取り組むのはSF小説そのもので、日本SFにおける身体性(embodiment)や、どのような人間(bodies)が日本SFの中で表象されてきたのか、女性や人種的少数者が描かれた例はあるのか等だ!」と。私は研究をゆっくり進めてきたので、いつも遅れをとっている気がします……。

 ファンタジーについても関心がありましたが、長いこと読んでいません。ともあれ、TRPGは私の趣味のひとつですね。自分の2つ目のプロジェクトとして、TRPGを研究するのも面白いのではないかと考えています。アメリカではゲームといえばアナログゲームなんですが、日本だとテレビゲームですよね。日本のTRPGのコミュニティについても見識を深めたいです。ただし、ちょっと懸念もあって。TRPGは個人的な趣味なので、仕事にするとしんどくならないか心配しています(笑)

RZ: ファンタジー小説といえば、日本ファンタジーノベル大賞はご存じですか?
BW: いえ、知りません。
RZ: (軽く紹介する)
BW: かなり文学的、知的に聞こえますね。日本SFにも同様の傾向があります。調べていて面白かったのは、SFマガジンの創刊号の序文で、編集長の福島正実は「SFとは何か?」と書いていて、知性というものを強調し続けていたんですよね。彼はSFを「知性の文学」と定義していました。SFは知的な人々によって読まれたり書かれたりするというアイディアです。末尾では、SFマガジンは今後、教養の場として宇宙のしくみや最新の科学的技術的な発見、ポピュラーサイエンスなども掲載していくと書いています。これは非常に興味深かったです。結果として、受賞作は確実に知的な作品を好む傾向にありそうです。たとえば飛浩隆や伊藤計劃といった作家はとても知的で、読者に大きな命題を投げかけてきますよね。
RZ: 確かに、日本SFの名作と呼ばれる作品にはアイデンティーや人間とはみたいな問題提起が最後のほうに出てくるものが多い気がするんですよね。ところでスタニスワフ・レムを読まれたことがありますか? 彼は日本で人気で、とてもスペキュレイティヴな作風ですし、おそらくそれが人気の理由のひとつではないかとも思っているのですが。
BW: いいえ、未読です。これまで日本SFに注力してきましたから(あまり他のSFを読めていないです)。本当に、もっと西欧のSFも読みたいと思っているんですけどね。(東西のSF界は)昔から相互に交流していたわけですし。まあ、今は日本だけで手一杯という感じです。アシモフもディックその他諸々、もっと読まないといけない作家がいます。
 私が(初期SFマガジンを)研究していて面白いと思ったことのひとつなんですが、ソ連SFの紹介も当時はかなり活発でした。冷戦時代に米国にはどれだけソ連SFが入ってきていたか日本と比較すると、興味深いです。SFマガジンで紹介されたソビエトSFの数には驚きました。ソ連SF特集号や、スタニスワフ・レム特集号もあったんですよね。
 米国の占領地かつソ連の隣国という、当時の日本が置かれていた複雑な立場の影響ですかね。SFマガジンではアメリカSFやイギリスSF、そしてなんとイタリアSFまで特集が組まれていました。当時、SF作家クラブはソ連と頻繁にやりとりし、福島正美ほか数名はソビエト連邦に実際に訪れています。国境を越えた相互交流が盛んだったわけです。
 ただし、中国SF特集は往年のSFマガジンでは見あたりませんでした。ひょっとするとその当時、中国ではまださほどSFが書かれていなかったからかもしれませんが。

RZ: そうですね、初期SFマガジンに中国SF特集はなかったですね。しかしたとえば、故・柴野拓美(1926 - 2010)さんは昔から中国SF界との交流があったと聞いています。(インタビュアー註:その後、柴野氏が四川のSFコンベンションに参加したのは1991年という記述を見つけました)  柴野氏は英語SFの翻訳者であり、米国SFと日本SFを主な専門にしていましたが、中国SFにも関心があったわけです。 ともあれ、中国SFは日本ではごく近年に一般的になったばかりという印象です。

BW: そうですね。70年代の「国際SF特集」は常に英米ソ連だけを意味していました。英語圏とロシア語圏だけです。東南アジアやアフリカには言及がありません。オーストラリアにさえも。
 1969年に発表された筒井康隆の「色眼鏡のラプソディ」は一種のメタフィクションです。作中登場人物である筒井康隆は、アメリカ人の少年から巨大な原稿を受け取ります。添えられた手紙には、未来政治風刺小説を書いたのですが、アメリカでは受け入れられなかったので、ぜひ日本で翻訳出版してくださいと書かれています。作中の筒井は、明らかに伊藤典夫をモデルにしたキャラクターに連絡を取り、翻訳を依頼するのでした。数週間後、再び会った翻訳者は、最初の三章の翻訳のみを携えていました。いわく「唾棄すべきもので、これ以上翻訳することはできない。最低で屈辱的だ!」と。作中作はとても人種差別的で、戯画化されたステレオタイプな日本と中国が書かれているものです。日中が交戦し、それを作中作の著者は第二次日本戦争と名付けているのですが、第二次世界大戦がすでに第二次日本戦争である事実を見落としているんですよね(笑) 筒井が取っているスタンスはさだかではありませんが、日本のSF作家たちがアホなアメリカの子供より、むしろアジア諸国と共により広いコミュニティを作り上げられることを示唆していると思いたいですね。まあ、実際のところはわかりませんが。これは70年代までの日本SFにおいて私が見つけられた数少ない中国への言及のひとつです。もっとあるに違いないでしょうが、探し出すのは困難ですね。
 なお、当時の日本SFの登場人物がどんなものかといえば、日本人ばかりです。ほとんど男性で、ヘテロセクシュアル。職業は科学者か作家です。私は当時のSF作家のコミュニティがどんなものであったかを明らかにしようとし、(マジョリティの)対極も探したいと思っています。例外的な人々を。しかし、難しそうですね。筒井は『ヌル』を、福島正美は『SFマガジン』を彼らのスタイルで統治していました。(当時からの)傾向はずっと続いていますが、私はより稀少なものについて議論してみたいと思っています。希望は捨てていません。

RZ: 米国SF作家協会の会員の実に70%が男性であると目にしたことがあります。日本SF界においては、この比率はより男性に偏っているのではないかと危惧しているのですが……。
BW: そうですね、ほとんど男性ですね。創刊以来、10~12年間分を読んだ限り、女性作家はまったく特集されていません。女性は翻訳者としてたまに登場するのみでした。パイロット・ペンと早川書房の共同広告企画が行われて、多少は女性が登場するようになりました。これもあるいは女性名の筆名だったのかもしれませんが、男性の筆名であるという証拠を見つけることもできませんでした。ファンジンだと男女比はもう少しましですね。
RZ: それはまちがいないですね。特に「おたより欄」では、結構な数の女性の名前を目にします。
BW: 個人的には、美苑ふうにはかなり興味を抱いています。元皇族で、筆名をベトナム戦争のディエンビエンフーの戦いから取ったらしいという(笑)すごく興味をそそる逸話の持ち主です。彼女に関して見つけられたリソースはすべて読みました。だいたい巽孝之先生にいただいたものです。その中で私が興奮したのは、写真やコンベンションレポートのほとんどにおいて、女性の参加も確認できたことです。「いた!」って。男性の大群の中にも女性は存在していたのです。SFコミュニティは完全に男子校状態で、男による男のための小説が集まっていたことはまちがいありません。私は、これは福島正美が推進したSFが知的であることを強調したムーヴメントと関係しているのではないかと思っています。言うまでもなく不幸なことでした。
 小谷真理先生には「(日本の)女性のSF作家を見つけたいなら、日本のマンガに手を広げないといけない」と言われました。 これが、私が研究の関心をメディアミックスにも向けている理由のひとつでもあります。小説以外のメディアは、新しい手段であるからこそ、非男性、非ヘテロ、非日本人の作家にも大きく開かれているからです。この先の数ヶ月、私は小説以外のメディアに集中して取り組む予定です。どんなマンガ雑誌がSFを出版していて、人気だったかを調べていきます。

RZ: マンガもそうですが、日本の女性作家の中には児童文学、ヤングアダルト、ライトノベルの領域でSFを書いている人も多かったと思うんですよね。実際SFとしてよくできているものもあると確信しています。SF専門出版社から出版されなかっただけで、見えない存在になり、SFの読者に存在を気づいてもらえず、ゆえにSF賞を受賞することもできなかった作品もあるのではないかと思います。

BW: ありえるでしょうね。硬いSF,本格SF、正当派SFと呼ばれるタイプのもののみが評価される。なぜなら文学界が男性のみの空間として閉じられており、男性ばかりの、教養あるSF作家たちのみのエコーチェンバーと化していたからです。しかし、他のタイプの作家たちによって書かれたSFの形もあるはずです。これは不幸な過去だと思う一方で、純粋に学術的研究という観点でいえば、メディアと論壇がいかに相互作用しているかが見てとれて、ある意味、興味深いですね。

RZ: 円城塔と飛浩隆の他に、どんな日本人作家に興味を持っていますか?
BW: もっと伊藤計劃を読みたいと思っています。自宅にまだ何冊か読まれるのを待っている本を積んだままなので。
RZ: 日本語でいうところの積ん読ですね。
BW: そうですね(笑) あとは藤井太洋、大原まり子、上田早夕里ですかね。『ゼウスの檻』は面白く読みました。ちょっと衒学的ではありますが、しっかりしたプロットでした。
RZ: 日本SF作家大賞を受賞した『華竜の宮』はまたちょっと違う感触の作品ですね。私は『華竜の宮』のほうが好きですね。
BW: そうですか。近作もぜひ読みたいです。
あと、たぶん日本でも同様だと思うんですが、少なくとも米国で感じる潮流として、SFは各ジャンルに普及拡散しているようなんですね。
RZ: 例えば、主流文学におけるオマル・エル・アッカドの『アメリカン・ウォー』や、コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』のように? 確かに、近年では主流文学作家がSFを書いていることも珍しくないですね。
BW: どうしてそのような風潮になったか、ということにとても興味をもっています。いまや、テクノロジーに満ちたSF的な世界で生きている我々にとって、SFこそが理にかなった言葉なのでしょうか。私は時々テレビゲームもするんですが、発売されたゲームの4分の3くらいにSF要素があると思います。
RZ: 舞台がアポカリプスとかディストピア後の世界だったりとかですね。
BW: そうそう。それに『メッセージ』のように、映画もあります。あれはよかったですね。あと、学部生のころに『インセプション』に心をつかまれました。
RZ: 『インセプション』面白いですよね。
BW: 好きですよ。でも一方でちょっと残念だったところもあって。『パプリカ』が同じテーマをもっと上手くやっていると思いました。それに『パプリカ』は色鮮やかです。夢を舞台にした話なのに、なんで『インセプション』は無彩色なのかと思うわけです。なにもかも茶色かグレーじゃないですか。勘弁しろよ、もっと攻めてけって(笑) まあ、実写だから限界があったということなのかもしれませんが……ともあれ『インセプション』を観た後は、早く帰って『パプリカ』を見返したくなりましたね!
RZ: ありがとうございました。

ブライアン・ホワイトさんのサイトAcademic Androidsはこちら(英語)

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