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東京で世界SFの授業を開く:早大准教授パウ・ピタルク・フェルナンデスさんインタビュー(その1)



カタルーニャ語とスペイン語を母国語とするパウ・ピタルク・フェルナンデス博士は現在、早稲田大学文化構想学部で准教授を務めています。ご専門は日本文学です。日本文学に関するスペイン語ウェブサイトKappa Bunkoのメンバーでもあり、同サイトで日本のSF賞情報を紹介していました。2018年後期、ピタルク・フェルナンデス博士は早大の文化構想学部で「グローバルSF」の授業を開講されました。
今回は来歴や、日本文学者がSFの講義を行うことになった経緯、授業の様子などをうかがいました。(インタビュアー:橋本輝幸)

Kappa Bunko: https://kappabunko.com

個人ウェブサイト:https://paupitarch.net/


※このインタビューは2018年11月に英語で行われました(リンク先が原文です)。以下は私による英日翻訳です。


1.経歴


ーーまず自己紹介をお願いいたします。

PPF    パウ・ピタルク・フェルナンデスです。現在、早稲田大学で日本文学を教えています。スペインで文学士を取得後、東京大学で日本文学の修士号を取りました。それからコロンビア大学に行って博士号を取り、しばらく米国で大学講師をしました。そして2017年から早稲田大学に雇用されました。専門分野は近現代の日本文学、特に20世紀初頭です。

ーー大正時代でしたね?

PPF    はい、大正時代です。博士論文は、天才理論――芸術的創造性と精神異常をめぐるアイディアについて書きました。狂気の天才という概念が、大正時代の作家たちによってどのように用いられ、どのように彼ら自身の芸術家としてのキャラクターや立ち位置を形成したかという内容です。芥川龍之介、谷崎潤一郎、佐藤春夫を取り上げて、彼らが天才を描くために使った医学・心理学的な手段や、天才をめぐる論考について書きました。このテーマには引き続き取り組んでいて、より広い視点から作者とは、芸術家とはというアイディアを広げていこうとしています。同時代の他の芸術家たちの書いた伝記も参考にしています。また、ジェンダーという側面から、天才論の拡大も試みています。例えば岡本かの子に。研究をより面白いものにしていきたいですね。

    そんなわけで私の研究は直接にはSFと関わりがありませんが、ずっと一読者ではありましたし、現在、授業でSFを教えています。また、SFを研究テーマに取り入れられたらとも思っています。


ーーSFとあなたの最初のファーストコンタクトについて教えてください。

PPF    たぶん、アニメのシリーズですね。日仏の合作で、スペインではユリシーズ31と呼ばれていました。(邦題『宇宙伝説ユリシーズ31』)。1980-1984年ごろに放映されていたはずです。『オデュッセイア』の舞台を宇宙に移した翻案でした。ユリシーズが家に帰るまでの道筋が語られるわけですが、31世紀という設定です。息子のテレマコスやロボットも出てくる大冒険ものでした。

    それからもちろん《スター・ウォーズ》が好きでした。のちに《スタートレック》も観ました。オリジナルシリーズがテレビで放送されていたのです。それからアイザック・アシモフですね。ヤングアダルト向けの《ラッキー・スター》ものを読んだおぼえがあります。


ーースペインSFについてはどうですか?

PPF     実はあまり読んでいませんでした。私の子供時代、スペインSFの影は薄かったです。もちろんSFを書いている人たちはいましたが、本屋に行ってもスペインSFは置いていないか、ごく小さなコーナーがあるくらいでした。SFの棚は翻訳ばかりで、スペイン産SFは見当たりませんでした。SFと言えなくもないものはありましたが、本格的なジャンルSFは、私が思い出せる限りでは全然ありませんでした。

    マヌエル・ペドロロという作家の、とても有名な長編小説があります。彼はカタルーニャの作家です。題名は『第二の起源の書』 (Macanoscrit del segon origen)です。ポストアポカリプス小説みたいな感じです。詳細は忘れましたが、異星人の侵攻のようなことが起こり、少年と少女がひとりずつ生きのびて、残りの人類は全滅してしまいます。

https://www.amazon.co.jp/Mecanoscrit-segon-origen-Manuel-Pedrolo/dp/8499305792

ーーいつごろ出版された小説ですか?

PPF    70年代後半だと思います。

    『第二の起源の書』はヤングアダルト小説として読まれていた本ですが、私はストレートなSFだったと考えています。しかし、この本をアシモフやStar Warsと同様な存在としてとらえてはいませんでした。私がスペイン語やカタルーニャ語でSFを書いている作家をオンライン上で追うようになったのは、ごく最近です。


ーースペインではイスパコン(スペインの年次SF大会)が毎年開催されていますね。イグノトゥス賞というスペイン版ヒューゴー賞が発表されています。何年か前、村上春樹が受賞していて驚きましたし、筒井康隆の短編がノミネートされていた記憶もあります。

PPF     どの作品ですか?

ーー「ポルノ惑星のサルモネラ人間」でした。

PPF     それは筒井の作品ですね。村上の受賞作品名は?

ーーどれだったか忘れてしまいました。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』でしたかね? (正解は『1Q84』と判明)

PPF     村上春樹は2005年に『ノルウェイの森』が出版されて以降、スペインではとても人気なんです。大ヒットでしたから。 

ーー春樹は世界中どこでも人気ですね。

PPF     春樹作品には結構SF要素がありますね。


ーーところで、ピタルク博士はなぜアジアについて学ぶことにしたのでしょうか?

PPF     学部生のころ、私は比較文学を学んでいました。しかし当時のスペインでは、比較文学とは基本、西欧文学を意味していました。ロシア文学すらなかったと思います。イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペインだけでした。

     私は1年間、ドイツのベルリン自由大学に留学しました。そこで、ある教授の耽美主義の授業を受講し、ユイスマンス、ボードレール、オスカー・ワイルドやその他の英国の耽美主義作家などを読みました。教授は、三島由紀夫の『金閣寺』もシラバスに入れていました。彼自身は日本語が読めるわけではなく、クラスの中に日本に関係のある人は誰もいませんでしたが、彼は「どんなものか読んでみましょう」と宣言したのです。そんなわけで私は、中古で売られていたフランス語訳が安かったのでそれを手に入れ、『金閣寺』を読みました。『金閣寺』は、今までに読んだどんな小説とも違っていました。私にとってまったく新しく、好奇心を呼び起こすものでした。そこで私は、日本の歴史や仏教やその他『金閣寺』に登場する様々な要素についての本を読み始めました。そのとき、すでに英語はできましたし、留学していたのでドイツ語もできるようになっていたので「よし、いける」と思い、『金閣寺』を原文で読むために日本語を学ぶことにしました。ちなみに当時、アラビア語やトルコ語にも興味がありましたが、日本語ほど度を超して学びたいとは思いませんでした。

    スペインに帰国してから、私は語学学校で日本語を勉強し始め、どういうわけか語学力を活かす機会も早々に獲得しました。当時どれだけ日本語ができるスペイン人がいたでしょうか? 世間の日本への関心は高かったにも関わらず、そう多くはいませんでした。私はこの好機にプロの翻訳者としてキャリアを積むべきだろうと思いました。そのころ――2003年くらいだったと思いますが、スペインでようやく東アジア研究に関する学士のコースが始まったので、私は大学に戻って学位を取りました。それから文部省(※現在の文科省)の奨学金を獲得して東京大学に留学し、博士課程向けの奨学金を獲得してコロンビア大学に行きました。そしてここで(早大でのポストという)機会を得ました。大変うれしいです。


ーーところで、三島や谷崎は美文ですが装飾的で、読解も大変だったのではありませんか? 

PPF    もともと19世紀の西欧文学――デカダンティズムと耽美主義を学んでいたからか、そう困難ではなかったですね。私を西欧作家と佐藤春夫、谷崎、芥川を同列に読みました。西欧の美的精神の世界にはなじみがありましたから、彼らのテクストはむしろ読むのが容易なほうでした。

ーーなるほど、同年代、ただし地球の別の場所というわけですね。

PPF    そういうことです。東京大学に来て早々に、それまで古い日本語の文法を習ったことがなかったので、ぜひ古文を独学したいと考えました。クラスメイトが高山樗牛「美的生活を論ず」を読むのを一緒に手伝ってくれることになりました。

    彼女は和歌が専門だったので、古文に精通していました。彼女は書かれている言葉は完全に理解できましたが、その論理を完全に理解するのは難しかったようです。私のほうは主人公が何を言っているのかは定かではないものの、彼の論理はよくわかりました。ただし表面的な文章は読みとれませんでした。この「し」は何なの? この「む」は何なの?という感じで(笑) 一旦、文法を教えてもらうと「ああ、ここはニーチェから、こっちはショーペンハウアーから、そしてこれはマシュー・アーノルドか誰かからのアイディアだ」とわかりました。クラスメイトは文章は読めるものの19世紀の思想家については詳しくなかったのです。ひとたび協力すれば、我々はすべてをカバーし、理解することができました。

ーー完璧なコラボレーションというわけですね。

PPF    そうですね。選んだ題材がやりやすかったんでしょうね。これが和歌やもっと後の時代の文学、現代文学なんかだったら、私にはなんのアドバンテージもないので、こうもうまくはいかなかったと思います。西欧文学の要所をすでに押さえていたことが、明治や大正の文学を理解しやすくしてくれました。
パート2へ続く

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